残念ながら日本でのプレーは1シーズンのみだったが、引退後の2019年には「交流戦SERIES 2019 3番勝負」と銘打たれた企画をDeNAが実施。共にヒーローインタビューを受けたことのある元チームメイトの長田秀一郎や、同じ「あばよ!」が決め台詞のエンターテイナー、柳沢慎吾らと横浜スタジアムを大いに盛り上げた。

 モーガンと同時期にヤクルトでプレーしていたラスティングス・ミレッジも、来日前は数々の奇行で知られた要注意人物だった。2003年のドラフト1巡(全体12位)でメッツから指名されたように、当時は走攻守のそろったファイブツール・プレーヤーになり得るトッププロスペクトとして期待されていた。

 しかしマイナー時代には友人の歌手と共に放送禁止用語満載のCDを発表して問題になった。2006年にメジャー初アーチを放った際は、守備に就く際にファンとハイタッチをかわしたことで首脳陣から注意を受けたこともある。

 2008年からはナショナルズでプレーし、2009年のシーズン途中にはパイレーツへトレード。この時の交換相手の一人が、なんとモーガンだった。

 ヤクルトでプレーしたのは2012年から。この時に背番号85を希望したのが奇行といえば奇行か。日本のプロ野球では80番台は基本的にコーチがつける背番号だからだ。当時も85番は飯田哲也コーチがつけていたが、ミレッジは飯田コーチから背番号85を譲り受けている。

 とはいえ、その後は問題児っぽい行動はほとんどなかった。ストライクの判定で審判に抗議して退場処分を受けたことはあったが、のちにミレッジは日本でのストライクゾーンの広さに適応するのが難しかったと振り返っている。メジャーで染みついた感覚とのズレから思わず異議を唱えてしまったのかもしれない。

 彼らのようなヤンチャ系と思いきやハッスルプレーヤーだったり、野球に対しては真摯な選手はファンからの人気も高く、記憶に残る選手となりやすい。だがジャクソンの不祥事によって今後の外国人選手の獲得には各球団も徹底した人物調査を行うことになるだろう。となると、来日前からマイナスの評判がある選手はなかなか獲得しにくくなる。モーガンやミレッジのようなタイプの「愛され助っ人」の登場はしばらくお預けになりそうだ。(文・杉山貴宏)