直接危害を加えられる(1)(2)の行為に比べて、(3)は決定打になるような事柄には思えないかもしれません。でも、私は、LINEグループから外されたことで、男子生徒は「これからもいじめの標的になるのは僕だ」と感じたのではないかと思っています。

そして、こう捉えたのではないでしょうか。これまでは「仲間内のいじり」だったのが、これからは正式に仲間から外されていじめの対象になるんだ、と。いわば、男子生徒は本格的ないじめの宣告を受け取ったのです。その時、強い恐怖を感じたはずです。

■いじめの輪から外れて感じる絶望感

 いじめを受けている被害者の立場から、グループから外されることの意味をあらためて考えてみたいと思います。いじめられているなら、その人たちと付き合わなければよいと考えがちですが、いじめられているからこそ離れがたいのです。自分を傷つけた人たちを仲間だと思うことで自尊心を保つという、特殊な心理状態に置かれているのです。
 
 自殺した男子生徒と近い精神状態になっていたと思われる男性から、こんな話を聞いたことがあります。彼は、ひょんなことからいじめグループから外れましたが、その瞬間に絶望感を感じ、10年間にわたってひきこもっていました。

『僕が中学生だったころ、仲よくしていたグループはクラスカースト(教室間の序列)の上位グループだったと思います。十数人のグループで、主要メンバーは同じ塾に通っていました。ふだんは仲がいいんですが、何かのきっかけで関係がすぐに壊れてしまうというか、誰かがグループのみんなから攻撃される対象になってしまう。そんなことがある日、突然、起きてしまうんです。その矛先は特定されていなくて、自分にも矛先が向かってきましたし、自分もその輪に加わっていたこともありました。

 今から考えれば異常な関係だったことはわかりますが、当時はそのグループにしがみつこうと必死でした。必死で殺伐とした人間関係のなかにいた結果、クラス替えによってそのグループから離れてしまったとき、絶望感に近いものを感じて学校へ行けなくなりました。

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被害者が加害者を肯定する…DVといじめは似ている