才能が花開かず…“ドラ1”入団も「1軍出場なし」で終わった選手たち (1/3) 〈dot.〉|AERA dot. (アエラドット)

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才能が花開かず…“ドラ1”入団も「1軍出場なし」で終わった選手たち

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久保田龍雄dot.
2005年の高校生ドラフト1巡目指名で巨人入りした辻内崇伸 (c)朝日新聞社

2005年の高校生ドラフト1巡目指名で巨人入りした辻内崇伸 (c)朝日新聞社

 ドラフト1位でプロ入りした選手ともなれば、1軍の試合に出場するのは当たり前。たとえ実力が不足していても、甲子園などで活躍した人気者なら、ファンサービスも含めて、それなりに出場チャンスがあるはずだ。

【写真】甲子園で“大化け”した球児たち 

 しかし、その一方で、1軍の公式戦で出場できないまま退団していったドラ1組も昨季終了時点で33人に上る。

 人気と類まれな素質を兼ね備えながら、プロで花開くことのなかった代表格が、2005年の第1回高校生ドラフトで巨人に1巡目指名された辻内崇伸だ。

 大阪桐蔭時代は夏の甲子園で最速152キロ(オリックスのスピードガンでは156キロ)をマーク。2回戦の藤代戦では大会タイの19奪三振を記録し、国内最速左腕としてチームメートの平田良介(現中日)とともにドラフトの超目玉に。そのドラフトでは、巨人とオリックスが競合し、抽選の結果、巨人が交渉権を獲得。外れたオリックス・中村勝広GMが当たりと勘違いするハプニングを経ての指名確定に、辻内は「小さいころから巨人ファンだったのでうれしい」と目を輝かせた。

 だが、プロ入り後に待っていたのは、相次ぐ故障との闘いだった。春季キャンプは肩痛で2軍スタート。6月にも左肩の炎症でフレッシュオールスターを出場辞退するなど、1年目はイースタンで3勝4敗、防御率6.04という不本意な成績に終わる。

 2年目も左肘手術を受け、以後、2シーズン登板なし。故障明けの09年に2軍の先発ローテ入りし、7勝4敗、防御率2.69と自己最高の成績を残すも、制球難を解消できず、翌10年はわずか登板3試合、11年は登板なしと1軍入りは遠のく一方だった。

 そんなどん底から一転して成長をアピールしたのが翌12年。2軍でリリーフとして43試合に登板し、8月16日に7年目で初の1軍登録。スポーツ紙の1面にもなった。だが、接戦続きの状況下で一度も登板機会がないまま、6日後に登録抹消となった。

 そして、春季キャンプで1軍スタートとなった13年も左肘手術で離脱。復帰後は球速が130キロに満たないまでに落ち、ついに限界を悟った。同年オフに戦力外通告を受けると、「やっと、この苦しさ(肘痛や肩痛)から解放されるんや」と安堵したという。思いどおりの速球が投げられたのは、高校時代も含めて「3、4年ぐらい」と、あまりにも短かった。


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