内野は松原、仁志、田代、梵の4人。松原は当時セ・リーグのファーストには王貞治が君臨していたことが大きく響いた。ちなみに通算2000本安打を達成しながらベストナインを受賞できなかったのは松原と大島康徳(中日日本ハム)の二人だけである。仁志はゴールデングラブ賞4回受賞の名手で、巨人のトップバッターとして一時代を築いた。しかし打率3割は一度もなく、同じ時期がローズ(横浜)の全盛期だったことも不運だったと言えるだろう。

 田代は1977年に打率3割、30本塁打をマークして以降、大洋の中軸に定着。同時期にサードで活躍した衣笠祥雄(広島)、掛布雅之(阪神)、原辰徳(巨人)に阻まれ続けたが、30本塁打以上3回、20本塁打以上8回を誇る。梵は広島低迷期の主力で、2006年に新人王、2010年には盗塁王にも輝いている。打撃、守備ともに調子の波は大きかったものの、スピード溢れるプレーとパンチ力が光る名ショートだった。

 外野手も名だたる顔ぶれが揃った。佐野は掛布の台頭でサードから外野に回り、打撃が開花した。1979年から9年連続で二桁本塁打をマークし、1985年のチームの日本一にも大きく貢献。派手さはないものの、バース、掛布、岡田彰布の後ろを任され、度々勝負強い打撃を見せた。

 金城はプロ入り2年目の2000年にいきなり首位打者を獲得したが、当時のポジションであったサードでは江藤智(巨人)が選ばれベストナインを逃している。その後も左右両打席からパンチ力のある打撃でチームをけん引。元投手で肩も強く、2006年の第1回WBCでも見事な外野守備で優勝に貢献した。緒方は1995年から3年連続盗塁王に輝いた広島の誇るスピードスター。6度の打率3割、6度の20本塁打をマークし、守っても5年連続でゴールデングラブ賞を受賞するなど三秒揃った万能選手だった。1998年に右足首を痛める怪我を負わなければ、トリプルスリーの可能性もあっただろう。

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パ・リーグの顔ぶれは?