セカンドの河埜は低迷期の南海を支えたバイプレーヤー。タイトル争いの絡むような派手な活躍はなかったものの、1979年には打率3割をマークしている。1、2番を打つことも多く、犠打や盗塁など小技でも光る選手だった。ショートの小坂はゴールデングラブ賞4回受賞を誇る守備名人で、盗塁王も2回受賞している。デビュー当時は松井稼頭央(西武)の全盛期で、打撃では敵わなかったが、守備と走塁では度々上回るプレーを見せた。

 外野は鈴木、池辺、サブローの三人。鈴木はドラフト5位でのプロ入りながら、2年目から4年連続20本塁打以上をマーク。ブライアント、オグリビー、石井浩郎などの強打者の後ろを打ち、近鉄いてまえの一角を担う活躍を見せた。池辺は俊足巧打の外野手としてロッテで活躍。打っては2番を打つことが多かったが、1970年にはリーグトップの27犠打を記録しながら22本塁打を放つパンチ力を見せている。サブローは高校卒ドラフト1位のロッテの生え抜きスター。圧倒的な成績を残すシーズンはなかったが、高い守備力と勝負強い打撃で“繋ぎの4番として活躍”。チームの二度の日本一にも大きく貢献した。

 最後の指名打者は外国人が任されることが多いが、ベストナイン未受賞選手から選ぶとなると山本になるだろう。若手の頃は外野手としてゴールデングラブ賞も受賞しているが、30歳を過ぎてからDHでの出場が増加。37歳となる1994年にはイチロー(オリックス)に次ぐリーグ2位の打率をマークした。二度の戦力外通告を乗り越えて復活を果たしており、そういう点でも人気の高い選手だった。(文・西尾典文)

●西尾典文/1979年生まれ。愛知県出身。筑波大学大学院で野球の動作解析について研究。主に高校野球、大学野球、社会人野球を中心に年間300試合以上を現場で取材し、執筆活動を行っている。ドラフト情報を研究する団体「プロアマ野球研究所(PABBlab)」主任研究員。

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西尾典文

西尾典文/1979年生まれ。愛知県出身。筑波大学大学院で野球の動作解析について研究し、在学中から専門誌に寄稿を開始。修了後も主に高校野球、大学野球、社会人野球を中心に年間400試合以上を現場で取材し、AERA dot.、デイリー新潮、FRIDAYデジタル、スポーツナビ、BASEBALL KING、THE DIGEST、REAL SPORTSなどに記事を寄稿中。2017年からはスカイAのドラフト中継でも解説を務めている。ドラフト情報を発信する「プロアマ野球研究所(PABBlab)」でも毎日記事を配信中。

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