こうした経緯で選抜された「ドリームチーム」はまさしく「夢」のメンバーばかりが揃った。1992年のバルセロナ五輪の米国代表には、マイケル・ジョーダン、マジック・ジョンソン、ラリー・バード、カール・マローン、ジョン・ストックトン、チャールズ・バークレー、デビッド・ロビンソンらNBAでトップの中のトップを飾る11名を選抜。当時デューク大学に在籍していたクリスチャン・レイトナーだけがアマチュア選手という構成だった。そして、この初代「ドリームチーム」は、これ以降の代表の中でも、豪華というだけではなく最強のチームと言えるだろう。

 大国のプライドをかけた初代「ドリームチーム」は、アメリカ大陸予選から他チームを圧倒した。初戦のキューバ戦では136対57で79点差と圧倒。当然のごとく予選で優勝し、五輪本番を迎えると、まずは初戦のアンゴラ戦を116対48の68点差で大勝した。その後も、海外の強豪国を次々と圧倒し決勝ではクロアチアに117対85で勝利し金メダルを獲得。1試合平均得点の117.3得点は史上最多で、1試合の平均得点差は約44得点と次元の違いを見せつけての優勝だった。

 当時のメンバーは、12人中11人が殿堂入りしているが、チームとしても2010年にチーム部門唯一の殿堂入りを果たす快挙を達成。初代「ドリームチーム」が、どれほど評価されているかがうかがえる。

 しかし、この初代「ドリームチーム」で一番偉大なことは、バスケットボールのグローバル化に多大に貢献したということだろう。特にバルセロナ五輪を開催したスペインを中心とした欧州でのバスケ人気の高まりと強化は顕著で、2002年の世界選手権では地元インディアナポリス開催にも関わらず米国代表は6位と惨敗。2004年のアテネ五輪でもNBA選手で構成したにも関わらず3試合で敗れて銅メダルに終わった。

 2006年のさいたま大会でも、準決勝にギリシャに敗れて3位決定戦に回ることに。ギリシャ戦の後にカーメロ・アンソニーやクリス・ポールらが茫然としていたのは、今でも忘れられない光景で、世界のバスケが本家に近づいたことを見せつけられたものだった。

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進むバスケのグローバル化