結局、打者としても芽が出ず、15年限りで支配下選手登録を解除され、育成選手契約へ移行。16年開幕から6月までBCリーグ・石川ミリオンスターズへ派遣されたのち阪神に復帰したが、同年限りで戦力外通告を受けた。

 ともに高校時代の輝きをプロで見せることはできなかった2人だが、戦力外通告を受けたあとは対照的な道を歩んでいる。

 島袋はプロ時代に使用していたサポートギア・メーカー職員として、関東近郊のショップで販売員を務めている。将来は野球で沖縄に恩返しすることを考えて指導者を目指している。

 一二三は17年に練習生として再び石川へ入団するも、同年11月に女性への暴行容疑で逮捕。ただ、この件は不起訴処分となり、現在は現役復帰に向けて準備を進めているという。

「島袋は良い意味でも悪い意味でも沖縄の子という感じです。常に地元のことを考えているのは変わらない。一二三は野球という世界から離れられないのでしょう。ずっとエリート街道で華やかな世界も知っていますからね。でも、野球への情熱は人一倍あるから、事件もあって様々な批判もあるだろうが負けないでほしい」

 アマチュア時代から2人を取材してきたスポーツライターはそう語る。

 島袋と一二三は3年夏の甲子園決勝で直接投げ合っている。結果は13−1で島袋のいる興南高が勝利を収め、全国制覇を果たした。ここでは一二三が3打数1安打。10年9月には米国で開催された日米親善試合に揃って日本選抜チームに選出された。そしてプロ入り後の15年にはウエスタンリーグで対戦、この時も一二三は安打を放った。

 現役時代は要所で接点があった2人。大きな期待を背負いながらケガに泣かされて志半ばで現役引退。高校野球のスターだった2人の歩みは、プロとして結果を残して大成するのはとてつもなく難しいということを象徴している。