昨年のドラフト会議では巨人阪神との3球団競合の末にヤクルトが交渉権を獲得。最下位に低迷して投手陣の立て直しが急務のチームにとって、即戦力投手の獲得は朗報だった。しかし、ドラフト前から「投球過多」も指摘されており、ここまでのところその不安が現実になった形だ。

 前出のヤクルト担当記者は続ける。

「あれだけの投手に3球団しか手を挙げないというのは、何かしら不安があったとも言えます。しかし、ヤクルトはチーム事情もあり、ドラフトでの奥川一本化はかなり前から決まっていたと聞きます。奥川サイドもヤクルトなら早い時期での一軍登板ができると見ていた。まさに相思相愛、大成功のドラフトだったんですけどね」

 年明けの早い時期にキャンプ中の1軍合流すら否定するのも珍しい。ヤクルトが奥川の扱い方に慎重になっているのは、過去、投手の逸材を数多くつぶしてきたことも関係あるようだ。

「80年代あたりから投手の故障者が続出してきた。そのトラウマがあるため、若手投手の扱いには慎重過ぎるほどになっている」

 長年にわたってヤクルトを追いかけてきたフリーライターが語る。

 80年代には甲子園の大スターだった荒木大輔(現日本ハム2軍監督)、それ以降も岡林洋一、川崎憲次郎、伊藤智仁、石井弘寿、由規(現楽天)などが故障。もちろん持病もあったのだろうが、ここまで故障者が続出するのは普通ではない。

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思わず投げてしまい、周囲が大慌てする一幕も