コンビを復活したアンタッチャブル(C)朝日新聞社
コンビを復活したアンタッチャブル(C)朝日新聞社

 2001年にスタートした「M-1グランプリ」は、最初の頃はかなり関西色の強い大会だった。そもそも大阪の朝日放送が制作する番組だったということもあり、大阪ローカルの漫才番組を全国ネットで放送しているような雰囲気があった。

【画像】10年ぶり復活の影にこのコンビあり?

 最初の3回の優勝者である中川家、ますだおかだ、フットボールアワー、初期に活躍した麒麟、笑い飯なども全員関西芸人だったし、第1回に出場した唯一の非・関西勢だったおぎやはぎは大阪の観客審査で歴史的な低得点を記録した。

 そんな「M-1」の関西偏重の流れに歯止めをかけたのが、2004年に優勝したアンタッチャブルだった。彼らは2003年大会で敗者復活からの3位という結果を残した。2004年には優勝候補と騒がれながら、その下馬評通りにぶっちぎりの優勝を果たした。

 このときのアンタッチャブルの漫才は衝撃的だった。山崎弘也の力強く自由奔放なボケと柴田英嗣の激しいツッコミがぶつかり合う、超重量級の漫才。ネタの面白さや話術の巧みさもさることながら、芸人としてのパワーが桁違いだった。個々に能力の高い2人が全力でぶつかり合うアンタッチャブルのような芸人は後にも先にも存在していない。

 だが、2010年に柴田が芸能活動を休止したことをきっかけに、彼らはコンビとしての活動も実質的に休止してしまった。ちょうど同じ時期に、山崎はバラエティタレントとしてさらに一段階上の進化を遂げようとしていた。

 その決め手になったのが、2009年に放送された「アメトーーク!」(テレビ朝日系)の「後輩の山崎に憧れてる芸人」である。この企画では、東野幸治をはじめとする中堅芸人たちが、後輩でありながらすさまじいパワーを持った山崎というモンスター芸人をあらゆる角度で分析し、称賛するというものだった。ここで山崎がスタジオ登場時に披露したのが、今では彼の代名詞となっている「来るー」というギャグだ。

 この企画で同業者からお墨付きを得たことで、山崎は水を得た魚のようにますますバラエティ番組で活躍するようになった。柴田が休養に入ってからは、山崎は1人でテレビに出ていた。だが、どう見ても「孤軍奮闘」という感じではない。同じ四字熟語で言うなら「一騎当千」。吉本芸人の集団芸に真正面からぶつかっても、自らの力だけで主導権をもぎ取り、笑いをさらってしまう。歴戦の芸人たちも思わずさじを投げてしまうほど圧倒的な実力を誇っていた。

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ラリー遠田

ラリー遠田

ラリー遠田(らりー・とおだ)/作家・お笑い評論家。お笑いやテレビに関する評論、執筆、イベント企画などを手掛ける。『イロモンガール』(白泉社)の漫画原作、『教養としての平成お笑い史』(ディスカヴァー携書)、『とんねるずと「めちゃイケ」の終わり<ポスト平成>のテレビバラエティ論』 (イースト新書)など著書多数。近著は『お笑い世代論 ドリフから霜降り明星まで』(光文社新書)。http://owa-writer.com/

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アンタッチャブル復活はみんなの大きな夢だった