現在、世界的な問題になっているフードロス(まだ食べられる食品を、賞味期限切れ、食べ残しなどを理由に廃棄してしまうことをいう)。世界では年間約13億トン、全世界の食品の約3分の1が廃棄されているというから仰天する。

 とくに日本は「廃棄大国」といわれ、年間約643万トンの食品が捨てられているというから、もったいないことこのうえない。643万トンの45%が家庭からで、残りは外食などから。外食時の食べ残しは、欧米では当たり前になっている「ドギーバッグ」と呼ぶ持ち帰りの習慣をもっと取り入れればよいのに、と思う。

 禅に「折水(せっすい)」という食事作法がある。食事が終わると椀に湯を注ぎ、タクアンで内側を洗う。洗った湯は二口分ほど残して小さな桶のような器に移し、これを樹木の根本にかけ、次の命を育む糧にするのだ。椀に残した二口分の湯は飲み干す。最後の一滴まであますところなく大切に飲むことで、大自然の生命をいただき、自分も生かされていると感じることを作法の域にまで高めているのだ。

フードロスの対極にあるこの精神をあらためて思い出そう。

■極端なメリハリも楽しみの一つ

格差社会と言われるが、年金暮らしはとくに格差が大きい……。基礎年金+厚生年金+企業年金の3階建て年金で悠々自適の老後を送っている人と、年金だけでは足りず、老後も働き続けなければならない人と。その差は絶句するほど大きい。

私は後者に入るのだが、なぜか、人さまから、「悠々組」と見られることが多い。強いて理由をあげれば、あまり人さまを羨ましがらないところがあるからかもしれない。よくも悪くも、人は人、自分は自分と考えるタチで、人さまの「悠々自適」はそれはそれ。自分は自分で、自分の手の内のものでやっていくことが当たり前だと受け止めて暮らしている。

 さらにいえば、お金の遣い方が大胆だ。かっこよくいえば、メリハリがあるのだ。旅行や観劇、音楽会などには私にしては大金をはたき、いい席で見ることにこだわっている。

 財布の大きさには限界があるし、年をとれば若い頃のように稼げるわけもない。だから当然、他のどこかは引き締めている。この引き締めがときには快感につながることもあるのだから、人生は捨てたものではない。

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