炎を上げて燃える首里城 (c)朝日新聞社
炎を上げて燃える首里城 (c)朝日新聞社

 沖縄のシンボルである世界遺産・首里城が31日未明、火事によってほぼ全焼した。首里城は2000年に世界文化遺産「琉球王国のグスク及び関連遺産群」の構成資産として登録された施設の一つ。沖縄のシンボルで、観光名所でもあった。

【写真】過去に焼失 増上寺の知られざる苦難

 首里城正殿は1925年に国宝に指定されたが、1945年に沖縄戦で焼失。戦後は跡地に琉球大が建設された。琉球大のキャンパス移転にともない、1989年に復元工事に着手。1992年に首里城公園の一部が開園、2000年に首里城跡などが世界遺産に登録された。

 日本の文化財は木造建築が多く、炎との戦いの歴史でもある。

 太平洋戦争時には、名古屋城や広島城、増上寺(東京都港区)などが焼失。松山城は、1933年に放火によって大天守以外の多くを焼失。焼け残った部分も1945年の空襲で被害を受けた。さらに、1949年には再び放火にあい、3度の人為的火災でほとんどが焼けてしまった。

 1950年には、金閣寺(京都市北区)も放火によって全焼した。犯人は、当時21歳だった金閣寺の徒弟僧。金閣寺と一緒に焼死するつもりだったが、怖くなって裏山に逃げ、短刀で自らの胸を刺して睡眠薬を飲んで自殺を図っていたところ、死にきれずに逮捕された。取り調べでは、金閣寺の美しさに対する嫉妬と、それを拝観に来る人たちへの反感から放火したと供述した。衝撃的な放火事件は、三島由紀夫の『金閣寺』や水上勉の『五番町夕霧楼』といった文学作品の題材にもなった。

 首里城と同じく、地域のシンボルが焼失したものでは、2006年の下関駅放火事件がある。木造平屋建てで三角屋根が特徴だった駅舎は、新年早々の1月7日に放火で東口駅舎が全焼した。犯人は当時74歳の無職の男で、前年12月30日に福岡刑務所を出所してからわずか8日後に犯行に及んだ。動機について「刑務所に戻りたかった」と供述したという。懲役10年の判決を受けたが、判決では「軽度知的障害で、かつ高齢でありながら、刑務所を出所後、格別の支援を受けることもなかった」と指摘された。累犯障害者の問題を浮き彫りにさせた事件でもあった。

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求められる火事の原因究明