私は、このままでは死ぬときに絶対いい思い出を持って死ねないなと実感しました。そこで「自分の人生を生きよう」と自分と向き合うようになりました。

 若いと、死ぬ瞬間をイメージできなくても仕方がないのかもしれませんが、若くても臨死体験をされたような方は、全く生き方が変わることもあるようです。

 私は今シンガポールにいますが、周りには自分の人生を必死に生きている人が多くいます。そんな環境にも影響されて、時間があれば素の自分になって自らと向き合い、「本当に今の仕事の本質は自分のやりたいことか?」を常に考えています。

 もちろんどんな仕事でもつらいことが多いものですが、そうやって常に自分自身と向き合っていれば、苦しくても頑張れます。目標に集中できるので、アホと戦う時間も余裕もありませんし、仮に近くにいたとしてもそういう人も味方にできるくらいの自分ができあがってきています。

 自分と向き合い、自分で見つけた人生の目的に沿って生きていても、必ず「やりたくない」仕事に出会います。大目標の過程のようなものです。

 そういうものは、「乗り越えないと先にいけない」「目的にたどりつけない」というステップだと思って取り組めばいいと思います。

 それでも、どうしても「自分には目的のようなものが見つからない」という方も多いでしょう。そんなときにオススメするのは、自らを「コンフォートゾーン」から追い出すことです。快適な居場所から出ないと人間は成長しません。いつまでも甘やかされてしまい、チャレンジをしなくなるからです。

 自分にとって、現在の環境が惰性になっていると感じたら、自分にとってのコンフォートゾーンをよく観察して、「なんとか頑張れそうだな」と思える限界の環境に自分を持っていくのです。そこでチャレンジをして失敗もするでしょうが、しかし必ず成長できます。アホが気にならなくなる瞬間が、きっと来るはずです。

 このように、適度な判断軸を持って、コンフォートゾーンを出られるのがいいと思います。注意しておきたいのは、自分のコンフォートゾーンをよく理解せず、やみくもに飛び出してしまうことです。あまりに厳しい環境に身を置いてしまうと、今度は自分のメンタルが壊れてしまいます。

 そこを見極めたうえで、コンフォートゾーンから飛び出してみるのがいいでしょう。

 死ぬときに持っていけるのは思い出だけです。

 迷ったときは、その気持ちを逆算して今を生きるのがいいと思います。

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田村耕太郎

田村耕太郎

田村 耕太郎(たむら・こうたろう)/国立シンガポール大学リー・クアンユー公共政策大学院兼任教授。ミルケン研究所シニアフェロー、インフォテリア(東証上場)取締役、データラマ社日本法人会長。日本にも二校ある世界最大のグローバル・インディアン・インターナショナル・スクールの顧問他、日、米、シンガポール、インド、香港等の企業のアドバイザーを務める。データ分析系を中心にシリコンバレーでエンジェル投資、中国のユニコーンベンチャーにも投資。元参議院議員。イェール大学大学院卒業。日本人政治家で初めてハーバードビジネススクールのケース(事例)の主人公となる。著書に『君は、こんなワクワクする世界を見ずに死ねるか!?』(マガジンハウス)、『野蛮人の読書術』(飛鳥新社)、『頭に来てもアホとは戦うな!』(朝日新聞出版)など多数

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