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「16だから」の松本伊代が「ママ」と呼ばれる違和感と納得感の理由

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宝泉薫dot.
すっかり「ママ」の風格、松本伊代 (c)朝日新聞社

すっかり「ママ」の風格、松本伊代 (c)朝日新聞社

伊代ちゃん、という感じの妹キャラ(1982年撮影)(c)朝日新聞社

伊代ちゃん、という感じの妹キャラ(1982年撮影)(c)朝日新聞社

■デビュー時は妹キャラだった

 10月21日は、松本伊代のデビュー記念日である。38年前、彼女は「センチメンタル・ジャーニー」で歌手デビューした。「伊代はまだ16だから」で知られる大ヒット曲だ。

【写真】かわいすぎるデビュー当時の伊代ちゃん

 そのB面には「マイ・ブラザー」という曲が収められている。デビュー時のキャッチコピー「瞳そらすな僕の妹」をコンセプトに、大好きな兄と似た男子を好きになる少女の気持ちが描かれたものだ。また、彼女は歌手デビューに先駆け「たのきん全力投球!」のミニドラマでテレビに登場していた。役柄は田原俊彦の妹、というものだ。

 そう、彼女は「妹」キャラで世に出たのである。 

 しかし現在、彼女をそういうイメージで見る人は少ないだろう。それに代わるパブリックイメージがあるとすれば「ママ」だ。これは実際、2児の母であることはもとより、夫のヒロミが「ママ」と呼んでいるところが大きい(彼女も相手を「パパ」と呼んでいる)。また、05年には同期の堀ちえみや早見優とともに「キューティー★マミー」というユニットを結成したし、15年には長男の小園凌央が芸能界入りした。芸能界を代表する「ママ」タレントのひとりだ。

 が、デビュー当時の彼女しか知らない人が、今の姿を見たらちょっと驚くかもしれない。たとえば「Boom」というサブカル雑誌の82年12月号が松本伊代特集を組んでいる。田中康夫や糸井重里といった当時の文化人がコメントを寄せるなか、柏原よしえ(芳恵)派だという経済人類学者の栗本慎一郎がこんな発言をしていた。

「中性的と言うよりは、無性的だね。(略)だけど、伊代なんかお嫁さんにしたらゼッタイだめだろうね。秩序感がないもんね」

 なかなか辛口ではあるが……。実際、156センチで38キロ、バスト72というデビュー時の体型は「性」をあまり感じさせなかったし、その性格は今以上に無邪気で天真爛漫、つまり子供っぽかった。それが「お嫁さん」どころか「ママ」としてもそこそこやれているのだ(逆に、体型も安産型で今上天皇のお気に入りでもあった柏原は今も独身。人生というものは面白い)。

 では、伊代はいつから「ママ」になったのか。生物学的にいえば、長男を宿したときということになるのだろうが、精神的にはそれ以前、ヒロミとの交際中だと考えられる。

■ヒロミのケガで母性が目覚めた

 ふたりの出会いは89年に、彼女が司会をする「オールナイトフジ」にヒロミがゲスト出演したこと。やんちゃ系が好みだったという彼女がアプローチするかたちで交際に発展し、93年に結婚した。その距離を一気に縮めたのは、91年にヒロミが負った大ケガだ。深夜番組「1or8」で人間ロケット花火に挑戦し、大やけどをした際、彼女は病室を見舞ったり、自宅療養中に包帯を替えてやったりした。この経験を通して、母性的なものに目覚めたのではないか。

 それから十数年後、ヒロミは芸能活動をいったん休止し、実業に精を出すようになるが、そういう生き方を可能にしたのも彼女の内助の功だったとされる。引き続き、母性的なものが発揮されていったわけだ。

 そんな彼女を、ヒロミがいつから「ママ」と呼び出したのかは不明だが、はっきりとしているのはこの男が、ことネーミングにかけては天才的なことだ。年上の先輩で実力者でもあるビートたけしを「たけちゃん」タモリを「タモさん」和田アキ子を「アコちゃん」と呼ぶなどして、自分自身のランクアップと大物のカジュアル化に成功してきた。

 そういう男が、妻の呼び方に「ママ」を選び、公の場でもそれを盛んに使うようになったのである。これは彼が、彼女の本質に「母性」を強く感じ、どこまで意図的だったかはともかく、世にも広めたいと思ったからだろう。いわば、ヒロミが「伊代=ママ」というパブリックイメージを作ったのだ。

■無邪気で天真爛漫な子供っぽさを持ち続け

 とはいえ、デビュー当時の彼女を知る世代には、違和感も否めない。それは彼女が一貫して、無邪気で天真爛漫な子供っぽさを保ち続けているからでもある。

 新人時代の賞レースでシブがき隊に「最優秀」をさらわれ続けたあげく、二組受賞だった日本歌謡大賞でようやく最優秀新人賞に輝いた際「やっといただけました」と本音を口走ったり、著書の感想を聞かれて「まだ読んでないんですけど」と、ゴーストライターが書いた実情をバラしてしまったり。一昨年には、線路内への立ち入りで書類送検されるという不祥事も起こしたが、泥沼不倫などに比べたらまだにくめない気もする、彼女ならではの勇み足だ。

 最近の「ダメママ」エピソードのなかでも、個人的に好きなのは、子供の学校の書類を書く際「苗字・名前」欄の「名前」欄にフルネームを記していた話だ。間違いを指摘したヒロミに、

「苗字って何?」

 真顔で聞いたという。放送作家でもなかなか思いつけそうにない天然ぶりである。

 ただし、そんな母親像は今の世の中にあって、かつての「肝っ玉母さん」的なものより、むしろ親しみを持たれやすいのではないか。体型なども、スレンダーだった名残りをとどめており、憧れる人は少なくないだろう。

■女子大生キャラ時代

 ちなみに、彼女には「妹」キャラから「ママ」キャラになるあいだに、短いながら「女子大生」キャラの時代が存在する。堀越高校を卒業後、戸板女子短大に進学。そのおかげで「オールナイトフジ」の司会もやれたし『伊代の女子大生 モテ講座』などという本も出すことができた。ちなみに「まだ読んでないんですけど」という発言はこの番組でこの本について聞かれたときのものだ。

 そんな本や失言が示すように、その頃の彼女がかもしだしていたのも「才女」というよりは「いまどきの女子大生」というイメージだった。思えば、その前の、ロリータ的「妹」キャラといい、肝っ玉母さんではない「ママ」キャラといい、彼女はそのときどきの現代っぽさを常に体現してきたといえる。

■「花の82年組」の先鋒として

 なお、アイドル歌手としての彼女は、松田聖子(80年デビュー)とおニャン子クラブ(85年デビュー)のあいだに位置し、両者の接点のような存在である。プロっぽさから素人っぽさへ、個人から集団へ。彼女が先陣を切るかたちで仲良くまとまり「花の82年組」と呼ばれた面々は、そんな変化を先取りし、反映していたのだ。

 82年組では中森明菜や小泉今日子のほうが大物化してしまったが、前年(当時は10月からが翌年度だった)にひと足早くデビューした伊代の活躍がなければ、未曾有の豊作とかアイドルブームのピークなどと語り継がれることにもならなかっただろう。

 そんな彼女も、あと6年で還暦。はたして、これからも時代の変化を先取りし、反映する素材でいられるのか。ただ、16歳が60歳になっても、その本質は変わらない気もする。ここはぜひ、彼女ならではの現代的なおばあちゃん像を見せてほしいものだ。

●宝泉薫(ほうせん・かおる)/1964年生まれ。早稲田大学第一文学部除籍後、ミニコミ誌『よい子の歌謡曲』発行人を経て『週刊明星』『宝島30』『テレビブロス』などに執筆する。著書に『平成の死 追悼は生きる糧』『平成「一発屋」見聞録』『文春ムック あのアイドルがなぜヌードに』など。


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