「25年にはJ1で常時、優勝争いしACL優勝を目指す」「日本代表に常時5人以上を輩出」

 壮大なプランを掲げ、14年11月に岡田氏がオーナー就任。四国リーグからスタートした岡田体制のFC今治は16年、全国地域サッカーチャンピオンズリーグ優勝でJFLに参入した。17年からJ3入りを目指し戦うも2年間、足踏み状態が続いている。(J3入り条件はJFL年間順位4位以内だが、17年6位、18年5位)

 岡田氏のオーナー就任当初は、多くのメディア媒体で話題を目にしたが、それから約5年という時間が経過。J3ライセンスを持ち結果次第ではJリーグ昇格も可能だが、現カテゴリーはJFL(Jリーグの下)とあって、サッカー専門メディア以外では名前を見る機会も少なくなっている。

「岡田さんは5年でJリーグ入りを目指すと言った。でも、そこまでは甘くなかった。J入りができなくてスポンサーが離れる覚悟もしていたが、多くが残ってくれた。現実的な方向修正を図り、今は堅実的にステップアップしてJ入りを目指している。

 組織的な部分で役割分担がしっかりできてきた。経営などは矢野将文社長。現場の強化は小野剛さんをはじめチームスタッフ。就任当初は現場(チーム)のことも岡田さんが関わることも多かった。今ももちろん、試合に岡田さんは全部来ている。でも、それ以外の日は東京などの都市部を中心にスポンサーなど、お金集め関連に集中している。1つの組織として良い方向へ進んでいると感じる」(以上、宇都宮氏)

 オーナー就任当初は現場経験豊富な岡田氏が、フィールド上の指導などに携わることもあった。しかし18年末から、それまでコーチディベロップメントマネージャーを務めていた小野氏が監督就任。Jリーグクラブやサッカー協会で実績があり、岡田氏が何度もタッグを組んだ相棒に現場を任せた。会社部門などは大手証券会社出身のプロ、矢野社長に一任。それぞれの役割を明確化することができた。

 Jリーグ入りから世界を目指すチームは、次のステップへ向け1万5千人以上収容の新スタジアム建設も念頭に置いている。岡田氏は“チームの顔”として協力者やスポンサーを探すため奔走する日々だ。

次のページ
村上水軍の末裔として