ーー直系のお教え子が池高を再び強くする。

 蔦文也。

 40年間の監督在籍で春夏合わせて全国優勝3回、準優勝2回。池高の礎を作り上げたのは、間違いなくこの男だ。

「当然ですが蔦文也監督の存在は大きい。グラウンドにいるだけでオーラのようなものがすごかった。だから3年間を通じてほとんど話したことはない。はい、いいえ、としか答えられなかった」

 本当にスパルタで怖かった。真鍋社長は当時を振り返る。

「今の井上力監督の野球は蔦監督の野球にそっくり。実際に監督の下でやっていて、池田の勝ち方を知っている。今年の夏のチームも打線が強くて良い投手がいる。甲子園に出場しても、全国の猛者たちと良い勝負ができるはず」

 86年春の全国優勝メンバーである井上監督の野球が、蔦監督に似てきたという。これもチーム力が上がっている証明なのかもしれない。

ーー池田が好き、大事だからなんだってする。

「高校は違うけど、ずっとこの辺りで生まれ育った。妻は池田OB。気になってしょうがない。できることがあれば、何でもしてあげたい。正直、寮を用意しようが差し入れしようが、うちの会社の広告宣伝になることもない。でも子供たちが野球に打ち込めるなら良い。まぁ池田が、地元が、好きなんです。大事なんです」

 楠本会長本人は池田OBではない。しかし地元で生まれ育ち、物心ついた時から「池高」がそばにあった。これまでもこれからも、それは変わらない。

 徳島県三好市池田町。

 四方を山に囲まれ、夏は暑く、冬は雪が舞う典型的な盆地地帯。かつては交通の要所であり、昭和天皇が宿泊した政海旅館も有名。四国を代表する宿場町であり人が溢れたが、現在は道行く人さえ数えられるほどになってしまった。

 しかしここには、いつも変わらず「池高」がある。かつての熱気が戻ってくる日を誰もが信じて待っている。

 校歌の通り、「我らが、池高」である。(文・山岡則夫)

●プロフィール
山岡則夫
1972年島根県出身。千葉大学卒業後、アパレル会社勤務などを経て01年にInnings,Co.を設立、雑誌『Ballpark Time!』を発刊。現在はBallparkレーベルとして様々な書籍、雑誌を企画、編集・製作するほか、多くの雑誌、書籍やホームページ等に寄稿している。Ballpark Time!オフィシャルページにて取材日記を不定期に更新中。現在の肩書きはスポーツスペクテイター。