その間、マクガフは左腕のハフとともに、それこそ毎日のように投げまくり、どんどん存在感を増していった。言葉は悪いが、開幕直後は“便利屋”的な扱いだったのが、8回を担うセットアッパーを経て、試合を締めくくるクローザーにまでのし上がった。

 今から30年前のハロウィーンに米国ペンシルベニア州モンロービルで生まれたマクガフは、子供の頃から本拠地が近かったピッツバーグ・パイレーツの大ファンだったという。お気に入りの選手はジャック・ウィルソン。オールスターや日米野球にも出場した強打の遊撃手に重ね合わせるように、自身もショートとしてプレーし、高校卒業時には憧れのパイレーツからドラフト指名を受けた。しかし──。

「故郷のチームから指名されるのは最高の気分だった。正直、断るのは辛かったよ……」

 当時のメジャーリーグのドラフトでは50巡目まで指名できたのだが、マクガフ“遊撃手”の指名は46巡目(全体1371位)。何より、ショートとしてメジャーでやっていく自信がなかったのが、入団を拒んだ大きな理由だった。

「守るのは好きだったけど、バッティングはそこまで得意じゃなかった。体が小さくてパワーもなかったしね。それに(同じドラフトで)パイレーツはショートを4、5人指名していたし、その時点でプロ入りするのはいい判断じゃないと思ったんだ」

 高校時代もショートを守るかたわら、ピッチャーとしても投げていたが、オレゴン大に進学して本格的に投手に転向。2年生になった2010年には米国代表として、日本で開催された第5回世界大学野球選手権にも出場した。

「あれが初めての日本だった。思い出はたくさんあるよ。ファンが熱狂的だったこと、電車に乗ってあちこちに行ったこと、どこもかしこも清潔だったこと……」

 予選のチャイニーズタイペイ戦ではゲリット・コール(現アストロズ)、ノエ・ラミレス(現エンゼルス)に続いて3番手として登板し、現在のホームグラウンドである神宮球場のマウンドも踏んでいる。

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