「マイケル・ジャクソンが大好きなの。アメリカ政府は敵だけど、アメリカの音楽はかっこいい。もちろん歌詞は全然わからないけどね。戦争が終わったら英語を勉強してみたい」。

 12歳で戦闘員になって以来、ずっとテント暮らしを続けてきたパオラは、楽しそうにしゃべり続けた。

■内戦の混乱で、ゲリラに行き着いた女性たち

 野営地で驚かされたことの一つが女性戦闘員の多さだった。当時、FARC戦闘員の4割近くを女性が占めていた。地方の農村出身者が性別にかかわらず、戦闘員になったためだ。内戦の混乱で親や夫を殺害され、FARCに行き着いた女性たちも少なくなかった。女性の多さは、テロや誘拐を繰り返して市民を震え上がらせたFARCが持つ別の顔でもあった。

 巨大組織に発展したFARCには、ゲリラでありながら、外部への情報発信や対外的なイメージ戦略を担当する「広報部」があった。そんな広報担当の女性戦闘員アレハンドラ・モラレス(36)は、女性が多数を占めることについて、私にこう説明した。「世界にいる人間の半分は女性よね。それなのに、社会を変えるために戦うのが男だけなんておかしくない? 私たちはコロンビアを変えるために戦っているの。だから、ゲリラ内にも社会と同じようにたくさんの女性がいて当然でしょ」。ゲリラ内の仕事に男女の差はなく、戦闘だけでなく、炊事や掃除、力仕事も平等に分担してきたという。

 意外だったのは、女性戦闘員たちが戦闘服の下に身につけていた色とりどりのシャツだ。カーキ色の地味な上着を脱ぐと、派手なデザインが描かれた赤や青などの原色のシャツを着ている女性がほとんどだった。マルクス・レーニン主義を標榜するFARCが敵視してきたはずの米国国旗をアレンジしたデザインや、英単語や有名ブランドの名がプリントされた服も多かった。

 戦闘服やリュックサックに、蛍光色や原色の糸を使って自分の名前を刺しゅうしている女性もいた。FARC内では戦闘服や長靴は全員に同じものが支給されていたが、それ以外の細かな禁止事項は特にないということだった。

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世界のどこにでもいる普通の女性と変わらない