大谷トンネルを抜けると、最初の中小屋連絡所が見えてくる。中小屋を含むすべての連絡所で、運行状況の確認などにあたる作業服姿の女性職員、愛称「かあちゃん駅長」が緑と赤色の旗を持って立ち、列車を見送る。朝一番の列車で来て、最終列車まで一人で勤務しているという。その先は近年、大規模な路線改良が行われた区間で、新天鳥(しんてどり)トンネルの開通などにより、4カ所のスイッチバックが廃止。撮影名所だった天鳥・桑谷の「オーバーハング」、岩が線路に被さる奇景も列車が通らなくなった。ただし、桑谷オーバーハングはいまも車窓から望める。

 桑谷連絡所を過ぎると、風景は緑に囲まれた穏やかな様子に変わる。4段の妙寿(みょうじゅ)スイッチバックを上り、新しい鬼ケ城トンネルを抜けると鬼ケ城連絡所。2段の鬼ケ城スイッチバックが続く。上り切ったところで振り返ると、鬼ケ城トンネルで抜けてきた山体が目に入る。赤茶けた斜面の所どころに白い岩盤がむき出しになった斜面は鬼ケ城崩壊地といい、「沿線一の危険地帯」とされている。

 崩壊地のすぐ下流に、鬼ケ城砂防ダムが造られている。高さ25メートル・長さ87.5メートルのダムは8年もの工期をかけて1957年に完成した。しかし、同時に造られた下流の副堰堤(ふくえんてい=急流を抑えるための小規模なダム)は1969年の集中豪雨で決壊し、復旧ののち、下流に第2副堰堤も増設されている。七郎(しちろう)トンネルを抜けると4段の七郎、2段のグス谷、さらに2段のサブ谷と、スイッチバックが連続する。眼下のサブ谷砂防ダムの上流で常願寺川は左の湯川、右の真川に分かれる。軌道は湯川に沿って樺平連絡所に至る。

 樺平連絡所は1965年まで終点だった場所で、列車の方向転換用のデルタ線が設けられた広い構内が“終着駅”だった名残を留めている。

 正面にそそり立つ高さ200メートルの急斜面には29年の開業当時、インクライン(貨物用ケーブルカー)が設置され、水谷との間を結んでいた。インクラインは45年6月の豪雨と10月の台風による大規模な土砂崩れで壊滅的な被害を受け、復旧を断念。50年になって索道(貨物用ケーブルカー)が設置された。しかし、インクラインや軌道に比べて輸送量は少なく、急斜面に計18段の連続スイッチバックを設けて、専用軌道が延伸されることになった。65年、18段の連続スイッチバックが完成し、トロッコ列車の水谷への直通運行が始まった。

次のページ
18段連続スイッチバックに現れたカモシカの親子