■米軍の攻撃目標とされた簡易鉄道

 簡易鉄道の完成から半年も経たない1945年2月3日、周辺の旧保谷町・田無町(合併で西東京市)は空襲を受け、このとき線路は完全に破壊された。保谷公民館の“幻の鉄道”調査まで、いまの西東京市域への爆弾投下は、隣接する武蔵製作所を狙った流れ弾や誤爆によるものとみられていた。ところが聞き取り調査のなかで、次のような証言が得られた。

「簡易鉄道の線路に沿ってまず照明弾が落とされ、その後爆撃が始まった。いつもの空襲とは違っていた」

 武蔵製作所ではなく、簡易鉄道そのものが目標だった。のちに確認されたアメリカ軍製作の地図には、武蔵製作所と田無製造所を結ぶ線路が、はっきりと記されていた。

 ひばりが丘パークタウンから武蔵野中央公園まで、“幻の鉄道”の跡をたどってみた。

 けれど唯一残されていたのは、青梅街道「ガード下」バス停の北側。廃線跡が西武新宿線西武柳沢~田無間の築堤をくぐる、自動車1台分ほどの幅の小さなガードのみだった。(武田元秀)