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羽生結弦らの“生みの親” 男子フィギュアに「美の革命」起こした伝説の男

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沢田聡子dot.
ジョン・カリーがいなければ羽生結弦も生まれなかった? (c)朝日新聞社

ジョン・カリーがいなければ羽生結弦も生まれなかった? (c)朝日新聞社

 現代のフィギュアスケート男子で、優雅な羽生結弦やバレエの素養があるネイサン・チェンが正当に評価されているのは、ジョン・カリーがいたからかもしれない。

 1976年インスブルック冬季五輪の金メダリスト、ジョン・カリーは、当時は優雅さを求められていなかった男子シングルに革命を起こしたスケーターの一人といわれる。映画「氷上の王、ジョン・カリー」(5月31日公開)は、カリーの私信や肉声も発掘してその生涯を丹念に掘り起こすドキュメンタリーだが、何よりも圧倒的なのは演技の映像だ。常に美しいポジションを保ち、高貴な雰囲気を漂わせるカリーのスケーティングは、まさに“氷上のバレエ”。スケーターとして行き詰まった時期には、アルヴィン・エイリー(世界的に有名なダンサー・振付師)主宰のスクールでバレエとダンスを学んでいたというカリーの体には、バレエの基礎が徹底的に染み込んでいた。ダンサーになる夢は父親の反対によりかなわなかったカリーが、スポーツだからという理由で習うことを許されたのがフィギュアスケートだったのだ。

 しかし当時、カリーの優雅さがすんなりと評価されたわけではなかったようだ。この映画のパンフレットでインタビューに応じている佐藤信夫コーチは、1973年に初めてカリーの演技を見た印象として「それまでに見たことがないようなフリーを滑る人が出てきた」と語る。同時に、インスブルック五輪でカリーが優勝する前は、ジャッジに評価されるようになるまでに4、5年を要したとも振り返っている。そんな時期でも、佐藤コーチが記憶しているのは、カリーの演技に総立ちになっていた観衆の姿だという。一定の評価を得られない時期にも、自分が美しいと信じる演技を貫き続けたカリーを支えたのは、会場の喝采だったのかもしれない。

 物語の幹の一つとなるのは性的少数者としてのカリーの苦悩だが、競技者・あるいは表現者としての人生に限定しても、カリーは「男らしさ」という固定観念との闘いを強いられたといえる。「男子の滑走フォームは、両手を真横、水平に上げてバランスを取りながら、というのが主流」(佐藤コーチ)という当時のスタイルの中で、バレエの基礎に基づく優美な動きを氷上で見せ続けるには、自分のスケーティングに対する強い信念が必要だ。まして、先駆者のいない新しいスケートに対して採点上で疑問符がつけられるのであれば、その道は究めて険しいものになる。


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