そしてこのエキシビションを締めくくったのは、浅田が滑る「ジュピター」だった。浅田は、公式プログラムによせた自筆メッセージで震災の年に母を亡くしたことにふれ、「人生は辛い事もあります。考えられないような事も全てを受け入れて乗り越え、前を向いて進んでいかなければなりません」とコメントしている。1年間の休養から復帰したタイミングでもあった当時の浅田は、休養期間中の被災地訪問で感じたことを、セルフプロデュースのこのナンバーに込めたのだろう。長くコンビを組む振付師、ローリー・ニコルと創り上げたプログラムの中で、浅田は子ども達と手を取り合って立ち上がる。痛みを分かち合いながら共に進もうという浅田の思いが伝わる、美しい演技だった。

 競うことから解放されたスケーターが表現に集中できるエキシビションは、ある意味ではフィギュアスケートの醍醐味を味わえるチャンスなのかもしれない。(文・沢田聡子)

●プロフィール
沢田聡子
1972年埼玉県生まれ。早稲田大学第一文学部卒業後、出版社に勤めながら、97年にライターとして活動を始める。2004年からフリー。シンクロナイズドスイミング、アイスホッケー、フィギュアスケート、ヨガ等を取材して雑誌やウェブに寄稿している。「SATOKO’s arena」