少なくとも私には、個人のあらゆることがデータとして補足される世界には抵抗があります。また、Amazonという、単純なたったひとつのITインフラに沿って、自分の生活や人生が依存することへの違和感があります。

 自然界の極端な多様性は、動植物の生き残り戦略のひとつです。つまり全球凍結や隕石衝突など、地球環境が何度も激変する中、生命を多様に保つことで、その環境への適性や耐性を持つ生命が生き延び、生命を絶やさずにつなげることができたわけです。

 個人的に経済の分野でも同じような原理がはたらくと考えます。したがってAmazon一極集中は短期的には巨大な便利さをもたらすでしょうが、長期的には日常や経済に根本的な脆弱性を抱えることになると懸念しています。

 GAFA(Google、Apple、Facebook、Amazon)の、さまざまな権利集中への批判が起きています。「以前のGoogle」のように、邪悪にならない高い倫理性を持つことと、企業を暴走させない枠組みが早晩必要になってくるのではないでしょうか。

 このように考えた時、Amazonには、新たな「公共の視点」をもつビジョンが必要になってくるのではないかと私は考えます。