柳原はなぜ2つの自分をそれほど器用に使い分けることができるのだろうか。恐らく、そもそも両方が本来の自分であり、どちらの状態のときにも無理をしていないからではないかと思う。他人を事細かに観察してその特徴を捉えるいやらしい気持ちもあれば、そんな自分を人前で露骨に見せて嫌われたくはないという優等生的な気持ちもある。どちらももともと彼女の中にあるものだから、自然にそれらを使い分けることができるのだろう。

 テレビタレントとしての柳原を見ているだけでは、彼女が芸人であるということをほとんど感じられないかもしれない。だが、彼女は決して芸人としての牙を抜いたわけではない。例えば、定期的に開催されている関根勤とのトークイベント『酷白』では、密かにドス黒い部分を見せている。私もこのライブに足を運んだことがあるのだが、ここぞとばかりに悪意たっぷりの目線で芸能人や女性のことを話す彼女の姿が印象的だった。このライブでは、話した内容をSNSなどにアップしたりすることが固く禁止されているため、彼女のそういう部分は世間にはまだ漏れ伝わっていないようだ。

 柳原の活躍以降、若い女性芸人がどんどん世に出てくるようになってきた。その中には、さまざまなタイプの芸人がいる。ただ、柳原に似ている芸風の人はいまだに出てきていない。芸人としてのスイッチをオフにした状態で、タレントとして及第点を出し続けられる女性芸人はそれほど多くはない。

 かつて上沼恵美子は「女芸人は恋をすると面白くなくなる」という持論を唱えていた。もちろん、それはそれで一般論としては一理あるのかもしれない。だが、柳原が結婚して変わるのかというと、それほど大きく変わることはない気がする。「黒柳原」と「白柳原」を器用に使い分けてきたクレバーな彼女は、これからも頑なにそのスタンスを貫いてくれるはずだ。(ラリー遠田)

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ラリー遠田

ラリー遠田

ラリー遠田(らりー・とおだ)/作家・お笑い評論家。お笑いやテレビに関する評論、執筆、イベント企画などを手掛ける。『イロモンガール』(白泉社)の漫画原作、『教養としての平成お笑い史』(ディスカヴァー携書)、『とんねるずと「めちゃイケ」の終わり<ポスト平成>のテレビバラエティ論』 (イースト新書)など著書多数。近著は『お笑い世代論 ドリフから霜降り明星まで』(光文社新書)。http://owa-writer.com/

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