また、その年には上原浩治も復活。20勝4敗、防御率2.09で新人王に輝いた1年目の後、2年間は9勝7敗、防御率3.57、10勝7敗、防御率4.02と成績を落としていたが、原監督就任1年目の2002年は、自身初の200イニング登板を達成し、17勝5敗、防御率2.60で自身2度目の沢村賞を受賞する大活躍を見せた。上原は第2次原政権2年目の2007年にはリリーフ転向で当時の球団新記録となる31セーブ(最終的に32)をマーク。指揮官交代を自身のプラスに変えてきた選手だ。

 藤浪と同じ阪神球団では、今岡誠の変貌ぶりが思い出される。プロ1年目から出番を得て2年目にはレギュラーとして活躍したが、野村克也監督就任後の3年間は不振が続いて成績も低迷。しかし、2002年に星野仙一監督が就任すると「1番・セカンド」に固定されて一気に飛躍。打率.317、15本塁打、56打点をマーク。翌2003年には打率.340で首位打者のタイトルを獲得し、1985年以来のリーグ優勝に貢献。さらに監督が岡田彰布に代わった2005年には、今度は「5番・サード」として機能。球団記録を更新する147打点をマークする大活躍で再びリーグ優勝に貢献した。

 すでに復活へ向けた藤浪の戦いは始まっている。大谷翔平と並び称された大器が、再びその能力を存分に発揮することができるか。このまま終わっては球界全体の損失。監督交代が藤浪にとっての“キッカケ”になることを、虎党のみならず、多くの野球ファンが願っている。