2011年は東日本大震災の影響で競馬界も様々な変更を余儀なくされたが、この激動の年に日本史上でも屈指の名馬が歴史に名を刻んだ。オルフェーヴルである。震災のため従来の中山競馬場ではなく東京競馬場で行われた皐月賞を制した時のオルフェーヴルは4番人気だった事実が示すように伏兵の一角でしかなかった。だが不良馬場のダービーを圧勝し、菊花賞をも快勝。ディープインパクト以来6年ぶり史上7頭目のクラシック三冠馬に輝いた。

 有馬記念でもブエナビスタやヴィクトワールピサら年上のライバルたちを制して勝ったオルフェ―ヴルは、翌2012年に阪神大賞典で逸走気味の暴走で2着、天皇賞(春)でも見せ場なく11着と気難しい面を見せたが、宝塚記念で復活勝利。そして迎えた秋には凱旋門賞制覇を目指して欧州に遠征し、実際に本番では直線で先頭に立って後続をいったんは突き放したものの、そこから内に急激に斜行。伏兵の牝馬ソレミアの2着に敗れてしまった。

 オルフェーヴルは翌2013年も凱旋門賞に挑戦。だがこの年は欧州の名牝トレヴに5馬身差をつけられての2着に完敗し、日本馬による凱旋門賞制覇はまたも持ち越しとなってしまった。それでもオルフェーヴルは引退レースの有馬記念を8馬身差で圧勝。先輩の三冠馬ディープインパクトに比べると破天荒で完全無欠の優等生には程遠かったが、やはり平成最強、日本史上最強馬を語るうえで主役になり得る一頭であることは疑う余地がない。

 オルフェーヴルの陰に隠れがちではあったが、同じステイゴールドを父に持つゴールドシップも個性派として愛された馬だった。2012年に皐月賞と菊花賞、有馬記念を勝ち、2013年からは宝塚記念を連覇。2015年には天皇賞(春)も制した名馬ではあるが、しばしば大きく出遅れて人気を裏切るなど馬券的にはファン泣かせの名馬でもあった。

 また2014年にドバイデューティーフリー(現ドバイターフ)を制したジャスタウェイは、国際クラシフィケーションで日本馬としては初の単独トップとなった。この時の130ポンドというレーティングはオルフェーヴルの129より上で、日本馬ではエルコンドルパサーの134に次ぐものだった。

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短距離路線でも日本史上に残る名馬