ところで、最強馬談義となるとどうしてもクラシック路線や天皇賞やジャパンカップ、有馬記念などの中長距離路線の主役たちばかりが話題に上るもの。だがそうした王道ではなくとも時代を代表する名馬たちがいるのも事実だ。

 例えばタイキシャトル。1997年にマイルチャンピオンシップとスプリンターズステークスを3歳(当時の表記では4歳)で連勝するも、年度代表馬には選出されず。翌98年は安田記念を快勝後に欧州遠征し、仏G1のジャック・ル・マロワ賞を勝利した。帰国後のマイルチャンピオンシップも連覇したタイキシャトルはこの年、短距離馬として史上初めて年度代表馬に選出されている。彼もまた、平成最強馬談義に加わる資格は十分の名馬だった。

 話を戻そう。20世紀最後の年だった2000年(平成12年)に一気に頭角を現したのは、テイエムオペラオーだった。もともと前年の皐月賞の勝ち馬で、年末の有馬記念ではデッドヒートを展開したグラスワンダーとスペシャルウィークに次ぐ3着と実力は申し分なかったが、古馬になって飛躍的にパワーアップ。天皇賞(春)、宝塚記念、天皇賞(秋)、ジャパンカップ、有馬記念と5つのG1を含む重賞8連勝と完ぺきな戦績を刻み、その圧倒的な強さから「世紀末覇王」の異名でも呼ばれるほどだった。

 その覇王は21世紀に入っても天皇賞(春)を連覇したが、彼の時代を終わらせたのはやはり下の世代だった。天皇賞(秋)では1歳年下のアグネスデジタルが、続くジャパンカップでは2歳年下のダービー馬ジャングルポケットがテイエムオペラオーをそれぞれ2着に下した。

 ちなみにアグネスデジタルはダートの南部杯やフェブラリーステークスをも勝利し、海外では芝の香港カップを制した二刀流の個性派として名を馳せた一流馬。ジャングルポケットと同世代で芝のNHKマイルカップを勝ったクロフネもジャパンカップダートを勝つなど、芝とダートの垣根を乗り越えた名馬が多いのもこの時代の特徴だったかもしれない。

 2003年(平成15年)はネオユニヴァースが皐月賞とダービーの二冠を制したが、秋の菊花賞で3着に敗れて三冠は達成ならず。むしろこの年の主役は、前年に3歳ながら天皇賞(秋)と有馬記念を制して年度代表馬になったシンボリクリスエスだった。シンボリクリスエスはこの年も天皇賞(秋)と有馬記念を連覇。特に引退レースだった有馬記念では2着に9馬身差のレコード勝ちで有終の美を飾り、2年連続で年度代表馬に選出された。

 翌2004年(平成16年)はNHKマイルカップとダービーを連勝した3歳の大将格キングカメハメハが天皇賞(秋)の直前に故障引退。代わって主役に躍り出たのはこの時点でG1未勝利のゼンノロブロイだった。ゼンノロブロイは天皇賞(秋)、ジャパンカップ、さらに有馬記念を3連勝。厩舎の先輩だったシンボリクリスエスも成し遂げられなかった秋古馬三冠を達成してみせた。これはテイエムオペラオー以来の史上2頭目の快挙だった。

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平成最強馬談義の本命が登場