それから3年後の昭和33(1958)年に、史上初の民間出身の皇太子妃として発表されたのが正田美智子さん、あのすごい方だったわけです。日本中がミッチー・ブームに熱狂する中、私は日本テレビに入社し、ご成婚パレードの中継に携わりました。以来、50年以上、美智子さまを取材しています。

――その子育てや家族像も社会に大きな影響を与えてきましたね。

 人気を痛感した取材がありました。昭和35(1960)年2月23日に浩宮(皇太子)を出産したわずか7カ月後の9月には、日米修好通商条約100周年の記念セレモニーのため2週間余りアメリカでの公務が予定されていました。できる限り自分たちの手で子育てをすると決め、東宮御所にキッチンを作り、乳人制度を取りやめて自ら母乳で育ててきた美智子さまは、このときまでに綿密なスケジュールを立てて、離乳を済ませました。アイゼンハワー大統領主催の晩餐会にティアラとローブ・デコルテ姿で堂々と振る舞う25歳の美智子さまは、戦後日本の希望の星でもありました。

 その海外公務の2、3日前に東京都北多摩地区にできた「ひばりが丘団地」への視察を取材したときです。皇太子・皇太子妃の2人がベランダに出られると、外はものすごい人出で超満員。「きゃーー!」という大きな歓声が上がり、もう誰が誰だかわからない状態でした。その多くが女性だったのです。

 平成の天皇・皇后両陛下は国民と皇室をぐっと近づけました。慰霊の旅や東日本大震災など被災地訪問を続け、祈る皇室から動く皇室になりました。今上天皇の最大の功績は、美智子さまとご結婚されたことではないかと思うのです。

(聞き手/AERA dot.編集部・金城珠代)