代々、フランス国王は寵姫を持つことが伝統となっていた。しかし、名高いアンリ2世のディアーヌ・ド・ポワチエやルイ14世のモンテスパン夫人などの公妾と異なり、ポンパドゥール夫人は、いわゆる“愛の技術“で国王を擒(とりこ)にしたのではなく、頭の回転の速さと男性的(?)な決断力で国王の信頼を得たのだった。しかし、気丈な振る舞いとは裏腹に夫人は生来、蒲柳の質であり、さらに月経随伴症候群、特に「片頭痛」で苦しんでいた。頭の一側が拍動性に痛み出す片頭痛の有病率は女性のほうが男性の数倍多く、特に月経開始二日前から、月経三日目までの5日間にみられるものを「月経時片頭痛」として別の扱いになっている。

 女性片頭痛患者の15~20%は月経時片頭痛がみられ、排卵時にも症状のある患者は60%に達する。セロトニン分泌障害や血管拡張などが片頭痛の病態に関与すると考えられているそのメカニズムは、不明な点が多い。月経随伴片頭痛では血管平滑筋の収縮を調節する女性ホルモンエストロゲンの急激な低下が原因と考えられている。一般的な片頭痛と違って閃輝暗点(せんきあんてん)や感覚異常などの前兆を伴わないが、治療抵抗性でエストロゲン補充も必ずしもの有効性ではない。現代では発作時には鎮痛剤に加えてセロトニン受容体作動薬であるトリプタン系薬やステロイドが使用され、予防的には抗うつ薬、β遮断薬などが投与されるが、発作の誘引となるストレスや睡眠不足を避けることが第一である。

 ポンパドゥール夫人の場合、一見優雅に見えて実は陰険な宮廷生活や王妃との微妙な関係、前夫との間にもうけた愛娘の急逝、国王との間でも妊娠と流産の繰り返しなどストレスこの上ない毎日だったであろう。片頭痛には気候の変化に加えて、ワインやチョコレート、コーヒーが誘引となる可能性も指摘されているが、いずれも宮廷人にはなくてはならぬものである。現代社会においても片頭痛による生産性の低下は否定できず、医療費はEU全体で年間に200億ユーロ以上とされている。趣味の良さと贅沢で知られた彼女が費やした城館や宝石道楽よりも、実は片頭痛による政策のぶれのほうがフランス国家に与えた損害は大きかったかも知れない。

◯早川 智(はやかわ・さとし)
1958年生まれ。日本大学医学部病態病理学系微生物学分野教授。医師。日本大学医学部卒。87年同大学院医学研究科修了。米City of Hope研究所、国立感染症研究所エイズ研究センター客員研究員などを経て、2007年から現職。著書に『戦国武将を診る』(朝日新聞出版)など。

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早川智

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早川智(はやかわ・さとし)/1958年生まれ。日本大学医学部病態病理学系微生物学分野教授。医師。日本大学医学部卒。87年同大学院医学研究科修了。米City of Hope研究所、国立感染症研究所エイズ研究センター客員研究員などを経て、2007年から現職。著書に戦国武将を診る(朝日新聞出版)など

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