「もう食事はとれない」そう告げられた難治がんの記者の支え「カレーは裏切らない」 (2/2) 〈dot.〉|AERA dot. (アエラドット)

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「もう食事はとれない」そう告げられた難治がんの記者の支え「カレーは裏切らない」

連載「書かずに死ねるか――「難治がん」と闘う記者」

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野上祐(のがみ・ゆう)/1972年生まれ。96年に朝日新聞に入り、仙台支局、沼津支局、名古屋社会部を経て政治部に。福島総局で次長(デスク)として働いていた2016年1月、がんの疑いを指摘され、翌月手術。現在は闘病中

野上祐(のがみ・ゆう)/1972年生まれ。96年に朝日新聞に入り、仙台支局、沼津支局、名古屋社会部を経て政治部に。福島総局で次長(デスク)として働いていた2016年1月、がんの疑いを指摘され、翌月手術。現在は闘病中

閉店の8日前に入れたラーメン店の一杯。福島県の「白河ラーメン」を味わえる貴重な店で、夫婦でよく行った

閉店の8日前に入れたラーメン店の一杯。福島県の「白河ラーメン」を味わえる貴重な店で、夫婦でよく行った

 最近で言うと、前回の退院後、再び体調が悪化して入院するまでは44時間しかなかった。だが偶然にもその間に、夫婦で通ったラーメン屋に、閉店8日前に滑り込み、東京で味わえる「福島の味」を食べ納めることができた。

 最後の食事となったのはすしだ。ふと思い立ち、おそらく初めて、店で出てくるネタを一字一句たがわずメモした。よもや「最後」とは思わないまでも、そう何度も足を運ばないだろうと感じて、無意識にそうしたとみえる。

 今は食べたいものがないからいい。今後、それが出てきたらどうするか――しばし思いめぐらせた。

 外出できるならば、配偶者と一緒に飲食店に行けばいい。合計2人分の勘定になるように注文して店の視線を和らげ、自分はソース、汁のたぐいにちょっとだけ口をつける。あとは少しでも彼女の気晴らしになることを願いつつ、飲み物とおしゃべりで時間をつなぎ、相手が食べ終わるのをゆったり待つ。

 自分が出かけられなければ、彼女に「お使い」を頼むとする。店に話して首尾良くソース、汁などを持ち帰られればよし、もし断られたら、そのてんまつを耳で味わうことにする。思い出がある店ならば、久しぶりの様子を聞くのもやはり「ごちそう」だ。

 もちろん、自宅での手づくりならばいくらでも融通がきく。ジューサーも活用し、ふたりして「珠玉のひとさじ」を調理するとしよう。

 我が家、というか私と彼女の間には、こんな「格言」がある。

「カレーは裏切らない」

 結婚して間もないころ、彼女から食事のリクエストを聞かれて、私がいった言葉だ。外食でメニューに迷った時も、カレーにしておけば間違いない。前回退院した9月21日も、夕食にさっそく食べたのは彼女のカレー。「肉はゴロゴロ入れて」「野菜は形がなくなるまで煮込んで」とこれまで何回、頼んできたことか。今後はゴロゴロした肉の形が残っていては無理でも、よく煮込まれた材料のエキスを含んだルーをこせば口にできる。

 今の私は、昔のようには働けない。それと同様に食事もできなくなるのだと言われれば、確かにその通りだ。食にまつわる喜びや楽しみのうち、体を動かしてすいたおなかを満たす快楽は、点滴で栄養をとり続け、空白感を覚えない身には望むべくもない。

 しかし、私が今、昔通りでなくてもものを書いているように、食の楽しみが今後、まるっきりゼロになるわけではない。液体にぎゅっと凝縮された味。テーブルを囲んだ思い出――。

 心の底から「食」を求めたとき、さらっとしたルーは、期待を裏切らず、渇きを癒やしてくれることだろう。


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野上祐

野上祐(のがみ・ゆう)/1972年生まれ。96年に朝日新聞に入り、仙台支局、沼津支局、名古屋社会部を経て政治部に。福島総局で次長(デスク)として働いていた2016年1月、がんの疑いを指摘され、翌月手術。現在は闘病中

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