第1戦は全セが5対0で勝った。試合を決めたのは、なんと2回に江夏が自ら放った先制3ランだった。また、全パは4回から2番手として登板した渡辺秀武(巨人)から先頭の有藤が三振し、これで10人連続三振。全パは“江夏ショック”が尾を引いたのか、計16三振を喫し、ノーヒットノーランまで達成されてしまった。
もうひとつ付け加えると、江夏は前年のオールスターでも第2戦の2回から3回にかけて5連続奪三振をマークしていたので、足掛け2年で14連続奪三振になった。
そして、同20日の第3戦(後楽園)、6回から全セの3番手としてマウンドに上がった江夏は、先頭の代打・江藤を空振り三振に打ち取り、記録を「15」まで伸ばす。
ところが、「阻止してやろうと思っていた」という16人目の打者・野村克也(南海)が「初球はたぶん直球だろう」と狙いを定めてバットをチョコンと出すと、二ゴロになった。記録が止まった瞬間、江夏は指を鳴らして悔しがった。
「三振したほうが良かったかな。ヤツもあれでガックリしていたからな。でも、ヒットじゃないんだからな……」(野村)
5年後、この2人が南海でバッテリーを組むことになったのも、不思議なご縁である。
“江夏の21球”として今も語り継がれているのが、広島時代の79年11月4日、近鉄との日本シリーズ第7戦(大阪)
4対3と1点リードで9回裏のマウンドに上がった江夏は、無死満塁のピンチを招いてしまう。
ここから死力を尽くして踏ん張り、佐々木恭介を空振り三振。なおも1死満塁のピンチで、投球動作を起こした直後に石渡茂のスクイズを見破り、カーブの握りのままウエストボールを投げたシーンは、“21球伝説”のクライマックスとも言うべき名場面である。
だが、意外なことに、この瞬間を一番近くで見ていた球審の前川芳男は「カーブではなかった」と証言する。
「あのときは雨が降ってたんです。カーブで外したなんて言うけど、実際にあのボールを見たら、全然曲がってなかったし、“ああ、直球で外したな”と思いました。江夏のプライドもあるから、(現役審判のときは)ずっと黙ってたけど、雨でグラウンド状態が悪くて、踏ん張りが利かず、結果的にそういうことになったのでしょう」(球審・前川芳男)
球審の目には「曲がっていない」と映ったとしても、江夏がカーブの握りのまま咄嗟にウエストボールを投げ、絶体絶命のピンチを切り抜けたという事実は永遠に不滅である。
●プロフィール
久保田龍雄
1960年生まれ。東京都出身。中央大学文学部卒業後、地方紙の記者を経て独立。プロアマ問わず野球を中心に執筆活動を展開している。きめの細かいデータと史実に基づいた考察には定評がある。