プロに進んでからは、残念ながら対戦することはできなかった。それでも、今もなお、松坂との長い親交が続いている。2006年に戦力外通告を受けた後、翌07年から2年間、米国の独立リーグでプレー。その後、拓大紅陵高のコーチも務め、2016年には福岡にある日本経済大に入学し、現在は経済学部の3回生。勉強をしながらコーチを務めている。それは「いつか高校野球か、プロの世界に指導者として戻りたいから」。指導するための引き出しを増やすために大学へ通っているのだ。

 昨年までの3年間、ソフトバンクに所属していた松坂とも度々会った。食事にも行った。松坂は全く構えたりしない。田中と一緒に店に入り、普通に食事を取る。

「普段、全然普通の人なんです。逆に僕らの方が構えるんですよ。これ、大丈夫なのかなって」と田中は笑う。その松坂は、ソフトバンクでの3年間で1軍登板わずか1試合。故障とリハビリの繰り返しだった苦難の日々を乗り越え、中日での今季、鮮やか過ぎるほどの復活劇を見せている。

「普通は心が折れるんです。体が元気でも、僕らは心が持たなかった。でも、松坂さんはやり続けた。そこがすごい。松坂さんがカムバックして、一線級で投げている姿を見ていると、松坂さんが頑張ってくれればくれるほど、うれしいんです。同じ空間で、一対一で勝負させてもらえた。たった一回の人生で、大きなウエートを占めています。後付けですけど、よくできた試合ですよね」

 あの夏、松坂と死力を尽くして戦った。その誇りが、今も田中を支えている。後進の野球人に、松坂から得た“大事なもの”を伝えていきたい。その思いがあるからこそ、今も田中は野球界にいるのだ。(文・喜瀬雅則)