「ここしかないと思いました。でも、タイミングは絶対にアウトなんです」

 それでも、田中の思いはPLナインの総意でもあった。本橋が平凡な内野ゴロなのに一塁へヘッドスライディング。クレバーなプレースタイルで定評のあった先輩の「そんな姿、今までに見たことがなくて……。後で本橋さんに聞いたら『体が勝手に飛び込んでいたんだ』って」。一塁の後藤武敏(現DeNA)がたじろぎ、足元がぐらついた。一塁から本塁への転送が、ほんの少しだけ遅れた。

「あのワンプレーを見ただけでも、何かが後押ししたんだな。いろいろな奇跡が重なったんだなと」

 セーフ。甲子園の土がついた田中の顔がアップになった。対照的に松坂は天を仰ぎ、無念の表情を浮かべていた。またもや試合が振り出しに戻った。田中は「これで松坂さんはキレる。終わりだ。そう思いました」ところが、続く古畑の初球に、田中は目を見張らされた。松坂はスローカーブを投げたのだ。

「それを見て、この人は普通じゃないと思ったんです。普通、イライラするじゃないですか。でも、そこで4番にカーブですよ。バッターも、真っすぐを待つところじゃないですか。すごいなと。冷静な判断ができるんだなと。隙ができてもおかしくないのに、全く隙がない」

 2死無走者からでも古畑が出塁すれば、続く5番の大西宏明はその試合で3安打。6番の三垣勝巳も7回にタイムリーを放っている。「5番、6番に回っていたら、何かが起こっていたと思うんです。でも松坂さんは、締めようと思うところは締めてる。逆に言えば、全部コントロールしていたんですね」。古畑は2球目を打って三塁ゴロとなりチェンジ。試合は17回へと進んでいく。その“運命のイニング”に、田中は「野球の奥深さ」を見たという。

 17回表2死から6番・柴武志が遊ゴロ。これを本橋が一塁へ悪送球。チェンジのはずが2死一塁。バッテリーの心理としては、まさに“16回の松坂”と同じだろう。あの時、松坂はカーブを投げた。しかし、PL学園のエース・上重聡はストレートを投げた。PL学園は捕手のレギュラーだった石橋勇一郎が試合途中に負傷退場し、2年生の田中雅彦(現・BCL福井監督)が捕手を務めていた。不慣れな急造バッテリー、さらなるミスも許されないというプレッシャー。走者を進めたくない、その思いが強すぎたのかもしれない。

 続く横浜の7番・常盤良太は、そのストレートを狙い澄ましたかのようにジャストミート。打球は右中間へ。長い戦いにピリオドを打つ決勝2ランになった。

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松坂大輔という投手の凄さの証明