確かに、本州の台風は中心の風速や距離などの気象情報から想像していたよりも風が弱いと感じることもあった。地形や台風の位置によって、風の吹き方が違うからだと考えると納得できる。数値で示される気象情報から、どのぐらいの雨や風の強さになるのかイメージできることは、もしもの時の判断を助けるかもしれない。筆保さんはほかにも、降水量の数字を感覚的に理解する方法を教えてくれた。

「降水量は地面にコップを置いて、その時間内にどのぐらいの高さまで水が溜まったかをミリメートルで表します。これはどんな大きさのコップでも同じです。底の面積が大きくなれば、口も広がるので同じように水が貯まっていくからです。日本では全国平均で年間1700ミリメートルの雨が降ります。1年で大人の身長ぐらいだとイメージしてください。そうすると、『1時間100ミリ』は10センチメートルなので、地面からくるぶしぐらいの高さになります。1年で身長ぐらいなのに、1時間でくるぶしだとかなり多いなと感じますよね。2011年に98人が命を落とした台風12号では紀伊半島で総降水量が2000ミリを超えましたが、2、3日で全国平均の降水量1年分の量を超えているわけです」

 そして台風の研究者として、いつも“悪者”にされる台風へのフォローも忘れない。

「台風には良い点もあります。まず、日本に貴重な水資源をもたらしているということ。日本の降水量は世界でトップクラスですが、人口が多く、国土が狭いため一人当たりが使える量に換算すると一気に下のランクになります。水の取り合いが戦争に発展してしまうほどですから、命の水なのです。2005年の台風14号は四国の水がめである早明浦ダムを1日で0%から100%にしました。台風は、空飛ぶ給水車なのです」

 歴史的に見れば、台風はその威力により、一国の将来を左右する出来事も引き起こしてきた。例えば、日本のピンチを救ってきた「神風」は台風だったと言われる。モンゴル帝国が日本に責めてきた蒙古襲来は1274年と1281年の2度。その2度とも日本に接近してきた台風がモンゴル軍を壊滅状態に追い込んだとされている。しかし、最初の襲来には台風の記録はなく、発達した低気圧や季節風により被害を被った可能性があるという。そして2度目の1281年は、まさに台風が接近し、大損害を受けた元軍が撤退。まさに「神風」だった。

 第二次世界大戦でも1944年12月にフィリピン沖を通過したコブラ台風と1945年6月に沖縄を直撃したバイパー台風はいずれも米軍に大きな被害を与えました(ただし、日本側の被害については記録されていない)。また同年9月17日、原爆投下の約1ヶ月後、台風が直撃し広島でも大雨に見舞われて甚大な被害を受けた。これは「遅れてきた神風」とも呼ばれ、原爆で被災した人たちをさらに苦しめ、調査のために現地を訪れていた調査チームも命を落としている。

 海外では、バングラディッシュがまだ東パキスタンだった1970年、サイクロン・ボーラによって20万~50万人が命を落とし、被害に対する政府の不手際から独立に動き出すきっかけの一つになった。

「台風は国を救うことも、変えることもあるのです。そしてまだ解明されていないことが多くあり、近年また研究が盛んに行われるようになりました。台風一過の空は、空気がきれいで虹などの珍しい気象現象が起きやすいときです。ぜひ台風を知って、上手に付き合っていただきたいと思います」(筆保さん)

(AERA dot.編集部・金城珠代)