ただし、それは勉強としてというか、客観的調査だったんです。街に深くコミットしてない。その後学生時代にボロボロの木造の古い家を自分で改造して住みたくなって、大家さん訪ねていって、断られたりしていたんですよ。

三浦:早い! バブル時代にもうやってたんだ。

馬場:やってました。でもなかなか、改造に「うん」って言ってくれる人がいなくて。あと、学生時代、ちょうど代官山の同潤会アパートが取り壊されるのが決まった頃、あの辺をうろうろしたりしました。木造だらけのエリアとかがあったんですよね。

三浦:「しもたや」みたいのがたくさんあったね。

馬場:早稲田の鈴木了二さんていう建築家の影響なんだけど、ボロボロの木造の廃墟とか同潤会の壁をフロッタージュ(注)したり、マニアックなことはしていましたね。

(注)表面がでこぼこした物の上に紙を置き、例えば、鉛筆でこすると、その表面のでこぼこが模様となって、紙に写し取られる。このような技法およびこれにより制作された作品をフロッタージュと呼ぶ。

■一生の不覚

三浦:僕ね、一生の不覚がいくつかあるんですけど、その一つが同潤会の代官山アパートを記録しなかったことなんですよ。パルコにいた1982、83年頃、祐天寺に住んでいて、渋谷の会社まで代官山から歩いて会社まで行ったのよ。休日出勤で。そしたら代官山アパートに迷い込んだの。その時の記憶が、ウィーンを舞台にした戦前のヨーロッパ映画みたいなイメージで今も残っているんですよ。なんかセピア色で。

馬場:わかる、わかる。

三浦:でも仕事があるからすぐ会社に行って。もう一回見に行ったと思うんですけど、でも当時の仕事は最新の流行を追うことじゃないですか。古い建物がいいねという気持ちは僕にもスタッフにもちょっとはあったんですけど、記事にするとか調べるとかいう事はまったく思いつかなかったんだよね。84年頃から藤森照信さん(建築史家)が「建築探偵」とか「路上観察」とか言い出したから、その時期なら代官山アパートを調査してもよかったはずなの。それでもしなかったんだよねえ。恵比寿を3日歩いて完璧な店舗地図をつくったことがあるのになあ。

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三浦さんの最大の一生の不覚とは…