馬場:パルコ文化全盛期だからねえ。

三浦:古い建物を追いかけてという仕事じゃないんですよ。それが最大の一生の不覚でね。代官山アパートを83年頃記録していたら、相当早いよ。

馬場:めちゃくちゃ早い。でも、そんな昔から古い建物の色気を感じる萌芽があったわけですね。僕は東京に出てきたのが87年。その頃、代官山あたりは結構注目されていて、おしゃれなフランス料理屋ができていたりする中で、まわりはぼろい家がたくさんあって。その頃、カメラに凝るというほどじゃないけど、セピア色って三浦さん言ったけど、安いカメラをもって、わざわざモノクロのフィルムを入れて代官山のあの辺を結構撮ってましたね。

三浦:へえ。じゃあ、駒沢通りですれ違っていたかもね。早稲田大教授の佐藤滋さんの『集合住宅団地の変遷』という、同潤会をたくさんとりあげた本が89年刊行だから、ちょうどそういう時期だったのかな。

馬場:そうか、そういう時期が僕の学生時代と重なっているんですね。ちょうど石山修武が早稲田大学にきて、西洋から輸入されたデザインを日本人がコピーし、RC風の建物を日本の左官技術で作ったもの、日本ならではの職人の技術と感性で引用しながらつくったキッチュなものを、ポジティブに評価していた。そういうことに対して僕も共感があったんだと思うし、ちょうど藤森照信さんの「路上観察」を僕も読んで、「あ、それをデザインとしてとらえて、楽しんでもいいんだ」という時代が始まった。モダニズムに設計された建築業界の品位みたいのをとっぱらってくれたようなところに身を置いていたというのが大きいかもね。今考えてみれば。

■路上観察という視点

三浦:藤森さんも佐藤さんも団塊世代だよね。団塊世代の建築家というのは、若いときにモダニズムの限界をつきつけられるわけだよね。

馬場:そうだ。

三浦:単なるモダニズムに対する疑念から生まれた研究や活動として実を結ぶのが40歳位になってから。1980年代だったんでしょう。

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