2006年、智弁和歌山に無念の逆転サヨナラ負けを喫した帝京ナイン(中央) (c)朝日新聞社
2006年、智弁和歌山に無念の逆転サヨナラ負けを喫した帝京ナイン(中央) (c)朝日新聞社

 記念すべき第100回全国高校野球選手権記念大会も順調に試合が消化され、今年の栄冠を掴むチームも随分と絞られてきたが、懐かしい高校野球のニュースも求める方も少なくない。こうした要望にお応えすべく、「思い出甲子園 真夏の高校野球B級ニュース事件簿」(日刊スポーツ出版)の著者であるライターの久保田龍雄氏に、夏の選手権大会で起こった“B級ニュース”を振り返ってもらった。今回は「幸運と不運は隣り合わせ?編」だ。

*  *  * 

 大会新記録達成!と思いきや、不運としか言いようのないアクシデントで一転記録がパーになる珍事が起きたのが、2001年の2回戦、横浜vs開星。

 横浜の5番打者・大河原正人は1点をリードされた2回、チーム初安打となる右翼線二塁打を放つと、6対1と逆転した5回にも左中間二塁打。さらに8回無死一塁の第4打席でも、バスターエンドランから右翼線二塁打を放ち、大会史上19人目となる1試合3二塁打の個人記録に並んだ。

 この時点では、9回に打席が回ってくるか微妙だったが、この回、チームが打者7人の猛攻で3点を追加し、9回にも2人の走者を出したことから、1死一、二塁で5度目の打席が回ってきた。もし二塁打が出れば、1試合4二塁打の大会新記録だ。

 ここで開星は、3二塁打と大当たりの大河原の目先を変えようとしたのか、二塁打2本を献上した2番手・下山寛典に代えて、185センチの1年生右腕・杉原洋(元ロッテ‐横浜)をマウンドに送った。

 だが、「調子が良かったんです」という大河原は、投手交代もモノともせず、三塁線に痛烈な打球を放つ。文句なしの二塁打コースだ。

 誰もが「新記録達成!」と確信した直後、「まさか!」のアクシデントが起きる。なんと、打球が若林浩三塁塁審に当たり、内野に転がってしまったのだ……。この場合、審判はルール上、石ころと同じ扱いになるため、記録は三塁内野安打に。この瞬間、1試合4二塁打の快挙は幻と消えた。

 試合後、大河原は「1試合4本(二塁打)が新記録?本当ですか。惜しかったですねえ」と残念がったが、「でも、審判に当たっても、(アウトにならず)、ヒットになったからいいです」と5打数4安打1打点の大当たりを素直に喜んでいた。

著者プロフィールを見る
久保田龍雄

久保田龍雄

久保田龍雄/1960年生まれ。東京都出身。中央大学文学部卒業後、地方紙の記者を経て独立。プロアマ問わず野球を中心に執筆活動を展開している。きめの細かいデータと史実に基づいた考察には定評がある。

久保田龍雄の記事一覧はこちら
次のページ
大逆転劇が暗転…