「帰れ!帰れ!」。泡を食った藤尾が必死に手で合図しながら制止したにもかかわらず、長嶋は気づかない。そして、藤尾を5メートルほど追い越してから「しまった……」と言わんばかりに呆然自失となった。

 直後、慌てて一塁に戻ろうとしたが、時すでに遅し。滝野通則二塁塁審が野球規則5.09「後位の走者がアウトになっていない前位の走者に先んじた場合、後位の走者がアウトになる」に則り、「アウト!」を宣告。あっという間にスリーアウトチェンジになった。

 なぜ長嶋は一塁から全力疾走して二塁走者を追い越したのか?実はアウトカウントを間違え、2死だと思い込んでいたのだ。

「(追い越しだと)気がついたときは、“もうダメだ”と思ったので、諦めたのだけれど、あのときに限って、審判が大きな声でアウトを宣告するので、本当に恥ずかしかった」(長嶋)

 かくして、長谷川繁雄(南海)、与那嶺要(巨人)、穴吹義雄(南海)、黒木基康(大洋)に次いでプロ野球史上5人目の走者追い越しアウトが記録された。

 その後、宇野勝(中日)や新庄剛志(日本ハム)らも記録して珍プレーの定番になった事件も、当時はまだ数えるほど少なかったことがわかる。

●プロフィール
久保田龍雄
1960年生まれ。東京都出身。中央大学文学部卒業後、地方紙の記者を経て独立。プロアマ問わず野球を中心に執筆活動を展開している。きめの細かいデータと史実に基づいた考察には定評がある。

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久保田龍雄

久保田龍雄/1960年生まれ。東京都出身。中央大学文学部卒業後、地方紙の記者を経て独立。プロアマ問わず野球を中心に執筆活動を展開している。きめの細かいデータと史実に基づいた考察には定評がある。

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