前出のベース踏み忘れ事件とともに、“長嶋珍プレー伝説”の双璧とも言うべき有名なエピソードが、三角ベース事件だ。

 1960年6月25日の広島戦(広島)、1対0とリードした巨人は4回、先頭の長嶋が左前安打で出塁。次打者・国松彰のときにヒットエンドランがかかり、スタートを切った長嶋だったが、打球は平凡な左飛となった。

 足に自信のある長嶋はすでに二塁を回っていたが、レフト・大和田明が捕球したのを見届けると、脱兎のごとく一塁へと戻った。

 ところが、このようなケースでは、二塁ベースを踏んでから一塁に帰塁しなければいけない(野球規則7.02)にもかかわらず、なんと長嶋は二塁ベースを空過して一塁に直帰してしまった。

 この“三角ベース走塁”をしっかり見ていた捕手・田中尊は、マウンドの大石清に「セカンドへ(送球しろ)」と指示。ボールを持っていた興津立雄一塁手が二塁ベースカバーに入った古葉竹識遊撃手に送球し、長嶋はアピールアウトに。試合も1対2と逆転負けした。

 「慌てちゃってね」とバツが悪そうな長嶋だったが、64年5月21日の中日戦(中日)では王貞治の左飛、68年5月16日の大洋戦(後楽園)では森昌彦の中飛といった具合に計3度も同じミスを繰り返している。

 2017年8月6日の中日vs巨人(東京ドーム)の9回1死、坂本勇人の中飛の際に一塁走者・重信慎之介が三角ベース走塁でアピールアウトになり、そのままゲームセットという珍事が起きたことから、「あの長嶋さんと同じプレー」と再びその名がクローズアップされた。

 三角ベース事件から約2カ月後、1960年8月21日の国鉄戦(後楽園)で、今度は走者追い越し事件が起きた。

 1対1の5回、巨人は1死から3番・藤尾茂が左翼線二塁打を放つ。一塁ベースが空いているので、巽一‐根来広光の国鉄バッテリーは長嶋を敬遠して、1死一、二塁とした。

 次打者・王はレフトへの大飛球。二塁走者・藤尾はハーフウェイで打球の行方を見守っていたが、鵜飼勝美が捕球したのを見届けると、二塁に戻ろうとした。

 ところが、いざ振り返ると、一塁走者・長嶋が全力疾走で二塁を回り、すぐ目の前まで来ているではないか。

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「帰れ!帰れ!」