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96歳元海軍兵が明かす「下っ端が、生き地獄を生き残るには3度も奇跡が必要」

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瀧本邦慶さん=2016年9月撮影

瀧本邦慶さん=2016年9月撮影

1939(昭和14)年12月、18歳。軍艦「八重山」に配属された直後の新兵時代。大黒帽式水兵帽すがた。帽子の前章には軍艦名「八重山」が金文字であしらわれている

1939(昭和14)年12月、18歳。軍艦「八重山」に配属された直後の新兵時代。大黒帽式水兵帽すがた。帽子の前章には軍艦名「八重山」が金文字であしらわれている

96歳 元海軍兵の「遺言」(朝日選書)

瀧本邦慶著/朝日新聞大阪社会部編集

978-4022630674

amazonamazon.co.jp

 ご存じのように日本軍はこのミッドウェー海戦で敗戦の坂道を転げおちていきます。戦後にミッドウェー海戦のことをしらべると、とんでもないことが分かりました。海軍の上層部のヤツらは、敗因は下っ端の下士官兵らがきちんと働かなかったからや、なんてことを言っているんですね。

 このときはっきりと分かりました。えらい人は自分の責任を認めるどころか、反対に責任を末端におしつけます。えらい人は失敗の責任をとりません。反省もしません。

■2度目の奇跡――トラック島の空襲の中で

 第二の奇跡はトラック島におったときに起こりました。

 空襲が毎日のようにありました。死にたくないから毎日のように防空壕にはいります。防空壕はふたつあって、こちらにひとつ、80メートルぐらい先のあちらにひとつありました。こちらの防空壕の入り口は岩盤でね、ものすごく強固に見えるんです。安心しますやん。絶対こっちやなと思って毎日ここにはいっておりました。毎日ですよ。

 80メートル先のあちらの防空壕は入り口がふたつあって、どちらからも出入りできるから便利でした。ところが上の土が薄いんですわ。ものすごくたよりないなと。こら爆弾1発くらったら防空壕ごと吹っとばされてしまうやろうね。だから1回もはいったことありません。

 ある日ね、また空襲がありました。いつもとはちがう80メートル先の防空壕にかけこんだんですわ。なんの気なしにふらふら~とはいりました。空襲がやみました。防空壕から外に出ました。びっくりですわ。毎日はいっておった防空壕に1トン爆弾が直撃ですやん。岩盤がくだけて入り口が完全にふさがっとるわけですわ。

 ただちに、岩石をとりのぞく作業をはじめました。みんな栄養失調でふらふらや。なにも食べてないから体力はない。でもはやくのけてやらな中の人が死んでしまうでしょう。しんどいとかなんとかそんなこと言うてられへん。小さいスコップでかいて土をばーとのける。爆弾の直撃で壕全体の土がゆるんでいるから、上からザーとくずれおちてくる。また埋まる。またばーとのける。またザーとおちてくる。のける。おちる。これのくりかえしですわ。

 やっと入り口が見えたのは1週間後でした。防空壕の中には20人ぐらいはいっとりました。右と左の壁にわかれてね、みんな空気がすいたいから、空気がはいってくる入り口の方向の土に頭をつっこんでね、ほんで全員が死んでおりました。

 いつもどおりに防空壕にはいっていたら、わたしもまちがいなく窒息死していたわけです。これもわたしにしたら奇跡じゃないですか。人間業でできることじゃないですね。


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