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96歳元海軍兵が明かす「下っ端が、生き地獄を生き残るには3度も奇跡が必要」

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瀧本邦慶さん=2016年9月撮影

瀧本邦慶さん=2016年9月撮影

1939(昭和14)年12月、18歳。軍艦「八重山」に配属された直後の新兵時代。大黒帽式水兵帽すがた。帽子の前章には軍艦名「八重山」が金文字であしらわれている

1939(昭和14)年12月、18歳。軍艦「八重山」に配属された直後の新兵時代。大黒帽式水兵帽すがた。帽子の前章には軍艦名「八重山」が金文字であしらわれている

96歳 元海軍兵の「遺言」(朝日選書)

瀧本邦慶著/朝日新聞大阪社会部編集

978-4022630674

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■最後の奇跡――レイテ島への潜水艇

 第三の奇跡もトラック島でです。わたしをふくめて5人に転勤命令がきたんですわ。突然のことでおどろきましたが、それから起こったことにもっとびっくりですわ。

 どこへ転勤さすんやと思たらね、フィリピンのレイテ島やと。命令を受けたのはみんな23、24歳のわかものばかりや。5人とも年齢だけをみたら元気ざかりですやん。実際は食いものがなくて骨と皮や。栄養失調でふらふらや。生きとるのかどうか自分でも分からんぐらいや。銃も重くて持てないほどによろよろや。そんなやつを転勤させてやな、なにをさすんや。連れていってなんになるんや。

 転勤を決めたヤツらは内地におるわけです。最前線のほんまの状況を知らんのですわ。わたしらが餓死寸前だと知らないわけです。おそらくな、書類をめくってね、年齢だけみてね、「お、こいつはまだわかいからつかえる」と考えたのとちがいますか。ああ、こいつも元気そうや、転勤させたれ。あ、こいつもおなじぐらいの年齢か。こいつも、こいつも。そうか、ほな5人やれ、てなもんですね。こうしてえらんだんでしょう。なにを考えとるんやと。

 それでもな、もう戦争はこりごりや。とても勝ち目はないと考えておりますやん。そんなときやからね、1日でもはやくトラック島を出たいですやん。少しでも内地にちかいところに行きたい。トラック島におったってなにもええことないんやから。

 制海権も制空権もとうにありません。それで海軍が昔つくった古い潜水艇でひとりずつ送りだすということですわ。口に出しては言われんけれどやな、ちょっとでもはやく行きたいですやん。つぎに餓死するのはだれやろかと、おれの順番はいつくるんやろかと、考えているのはそれだけですからね。5人でくじを引いて、ざんねんなことに、わたしは最終便の5番目になりました。つらかったですわあ。

 4人目までは決めたとおり潜水艇に乗ってレイテ島へ行きました。順調でした。あ、こんどはおれの番やな、やっと乗れるなと思てね、楽しみに待っとりました。

 ところがね、通信兵がわたしのところに来ました。瀧本、おまえが乗る潜水艇、沈んだぞ。そう言うてきました。レイテ島からもどってくるときに駆逐艦に見つけられてね、攻撃を受けて沈没したというんですわ。そういう連絡がきたんですって。


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