わたしだけおいてけぼりや。トラック島を出られる最後の望みもたたれました。つらかったですわ。泣くぐらいつらかった。ほいで泣きました。ひとしれず母親をしのんでなみだをながしました。

 それからしばらくしてからのことです。通信兵が防空壕の中でラジオを傍受していますやん。そいつが言うには「レイテ島で陸海軍が最後の大決戦をやった。海軍の艦船は全滅、陸軍の兵士は全員玉砕した。そういうニュースがはいった」ということですわ。
ほいたらな、わたしもフィリピンによろこんで行っとったらね、完全におだぶつですやん。潜水艇に乗る順番がはやかったら確実に死んどりますやん。わたしの生死も紙一重やったわけです。

 まことに人の運命は紙一重ですわ。生死もまた紙一重。一寸先は不明です。これもわたしにしてみたら奇跡なんですね。

■生かされとるものの責任

 このみっつの奇跡によってわたしは生きてかえってきました。どのことを考えてもわたしにとっては奇跡ですねん。こうして生きていることが不思議なんです。命令どおりに動かされて死んどらなあかんやつが、ぎゃくに生きてかえってきたんやから不思議なことですやん。みっつの奇跡に人智のおよばない運命を感じないわけにはいきません。母親がいのってくださったおかげでしょうか。生きのこって戦争の惨状を語りつぐようにという神や仏のなせる業でしょうか。

 ですからわたしは自分の力で生きとるのとちがいます。生かされております。生きとるはずのないもんが生かされとるんやから、生かされとるものの責任がありますやん。そう思とります。戦争の実態をストレートに、そのままの姿でつたえる責任です。

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 瀧本さんは今年の11月で97歳になる。体が動くかぎり講演会や学校で自分の体験を語りつづけるという。理由についてこう語る。

「わたしは幸運にも帰ってきたけれど、20歳そこそこで死んだ者はどないなるんや。わたしらの『青春時代』というのはとんでもないものでした。いまの若者には、わたしらと同じ人生を送ってほしくないんですわ」