江國さん自身は『くるい咲き』という、家族関係を描いた小説を連載したが、途中で自分の小説に興味を失い、詩やコラムに力を入れるようになった。

 お話をつくるのは小さいころから好きで、ずっと小説を書いていた。この作品を含め、いずれも未完に終わっていたが作家の才能は中学、高校時代に開花しつつあった。『老人と海』『こころ』など、課題の読書感想文では、たびたび1位に輝いている。しかし、本人はこう話す。

「望まれているものがあるように感じて、かっこつけて書いていたような気がします。書くことは私にとって楽しみであって、授業や宿題で書かされたり、書いたものがみんなの目にふれたりするのはあまり好きじゃなかった」

 中学では文芸部に入ったものの、それほど熱心に活動していない。高校のときは新聞部で「欅(けやき)」という新聞をつくった。先輩と新橋にあった印刷所に行って大人とやりとりをしたり、試し刷りを出してもらったり。活字を拾う音、インクの匂いがよみがえる。自分よりずっと熱心な部員がいたのに、たまたま選挙で新聞委員長に選ばれてしまったという、ほろ苦い思い出もある。

 6年間にはさまざまなイベントがあった。体育祭の目玉は高校3年生の「扇の舞」。8クラス全員が扇をもって踊り、人文字をつくる。なぎなたのポーズがある「順心体操」も必修だった。九州を一周した修学旅行、スキー教室、マナー教室、富士急ハイランドへの1日遠足。音楽会、歌舞伎、能、相撲の断髪式もみんなで見に行った。

 希望者には海外研修もあり、江國さんは高校2年生の夏休みにイギリスに渡った。

「3週間も家族から離れたことはなかったので、すごく大きい経験でした。現地の家庭を訪ねるホームビジットでは、ネコを飼っているすてきなご夫婦に出会いました」

 旦那さんの職業を何回聞いてもわからなくて、あとから辞書で調べたら、「水かさ測り人、運河の水量を調節する人」と書いてあった。

■思い出されるのは個性豊かな先生たち

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