学園生活を振り返って、
「いろいろ思い出すなあ」
と言う江國さんの口からは、何人もの先生の名前が出てくる。やさしかった英語の伊藤先生、あこがれていた白衣の似合う小泉先生……。
「いい先生がいっぱいいる学校でしたね。こんな年齢の女の子ばかりが集まったら、誰にしたって面倒くさいのに、甘やかされたお嬢さんも多かったし、時代もあって不良っぽい子もいた。先生はよくやってくださったと思います」
運動は苦手だったけれど、新任の小林先生が担当するようになって、急に体育の成績が上がったことがあった。
「下手なりに何とかやっている生徒のほうが目立ったのだと思います。結果より経過を見てくださる先生だったというか(笑)。そうしたら、体育の得意な子が怒る、怒る。そんなテレビドラマみたいなことがいっぱいありました」
熱意あふれる小林先生は、その後、青年海外協力隊としてチュニジアへ。卒業後、江國さんはマリちゃんと遊びに行き、21歳の誕生日をチュニジアで迎えている。
大人になってから、マリちゃんとよく旅をした。サハラ砂漠が見たくて、近郊のホテルから出ているツアーバスに乗り、砂漠で降ろしてもらった。すると帰りの足がなくなり、取り残された。
「2人で砂漠に野宿して、次の日に来たバスに乗せてもらい、命拾いしました。彼女との出会いも順心で得た、大きなものです。すばらしい女性になり、外国人に日本語を教えています」
子どもから大人に変わる6年間、かけがえのない友人たちに恵まれた。
学園では当時から英語に力を入れていた。リーダー、文法など、毎日英語の授業があり、夏期講習にはネイティブスピーカーの講師も来た。それが当たり前ではないことに気づいたのは、短大の国文科に進学してからのこと。英語の授業は週に1コマしかなかった。
「寂しくなっちゃって、自分の授業をサボって、英文科の外国人の先生の授業を廊下で聴いていました。短大卒業後はアテネ・フランセの英語科に進み、アメリカに留学しました。英語が好きになったのは、順心の授業を受けられたからなんです」