ならばよけいに文字で場面を再現できるようにと、ストレッチャーで検査室へカラカラと運ばれながら、またも白い天井をにらむ。



 これまで通院や入院の際にストレッチャーで運ばれてゆく人を見ては心の中でつぶやいていたのを思い出した。「明日は野上(のがみ)」。そのうち自分も同じことになるんだよ。要するに「明日は我が身(わがみ)」に引っかけただじゃれである。

  ◇
 仰向けといえば、先日、こんな問答が頭に浮かんだ。

「心がつらい時や、体がしんどい時、表にいて一番長く目にするものは何か」

 答えは「地面、アスファルト」。自宅から半径500メートル以内の風景から永田町・霞が関の動きをとらえようとする「半径500メートルの政治記事」の3本目のテーマにできないか、と考えた。

 法整備や税制改正をめぐる業界団体の陳情や、国会審議で「アスファルト」が出てくる場面。下調べは済んでいた。

 白い天井ならば、黒い地面と取り合わせがいい。「欠けていたピースが埋まった」とも思ったが、ここで済ませることにした。きれいにオチがついた文章は今の体調にはそぐわない。

 上下逆さまといえば、落語の「死神」にこんな場面がある。死神に言われて医者になった男。死ぬことになっている病人の布団を持ち上げて頭と足のほうをひっくり返し、呪文を唱えると、病人が息を吹き返す――。

「落語は人間の業の肯定」。「死神」を演じた立川談志の言葉だ。

 こと書くことについては、がん患者となった私もずいぶん「ごうつくばり」だ。我が身の「不幸」も心の汚さもすべてコラムという闇鍋に放り込めないか、舌なめずりしている。そんな私を「ネタキャッチ」とライトに表現した配偶者が私の業を肯定しているかは分からない。ただ、例の「心がつらい時や、体がしんどい時、表で一番長く目にするものは」の問いに「地面」と即答されたときには、参った。私といないときに、彼女が地面を見つめ、足を引きりながら歩いている場面が目に浮かんだ。
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