私たちが、各省の主要な規制改革テーマごとにA4用紙1ページの「アジびら」を20項目分作る。それを改革推進派の財界人などに渡して、国会議員に「陳情」に行ってもらう。それと同時に、新聞には、規制によっていかに国民が損をしているか、産業の競争力を削いでいるか、そして官僚たちがどんなに甘い汁を吸っているかという記事を連日書いてもらう。さらに、野党議員に国会で質問してもらうというようにして包囲網を作っていくのである。

 このとき私は、マスコミが支持してくれているので、国民世論から支持されているという自信を持つことができた。他省庁のことに口を出してけしからんという霞が関の中からの強い批判も予想したが、そこはマスコミに守られているという安心感もあった。

 こうしたやり方は、「改革派」官僚の定石となっていった。私は2008年に自民党政権下で、渡辺喜美公務員改革担当相に呼ばれて内閣審議官として公務員改革を担当することになった。この時は、財務省が霞が関全体を仕切って一斉攻撃を仕掛けてきたので、大変だったが、マスコミ、とくにテレビ局とタイアップして、連日官僚批判を展開してもらい、財務省名指しの報道もしてもらうと、彼らは表立った反対ができなくなった。もちろん、裏で政治家に働きかけることは行われるが、そうなれば、今度は改革に対してどの政治家が後ろ向きかを出していくぞと脅すことによって、そちらの反対も抑えられる。最後の関門、自民党総務会で重鎮が続々と反対論を述べた時は、やはりだめかと思ったが、賛成論が一人もない中、結局全会一致で総務会長一任となった。この法案を潰したらどうなるのかと自問した時、マスコミの集中砲火が怖くて、彼らも法案を了承するしかないという状況に追い込んだのだ。こうして、守旧派の総大将のような麻生総理の下で、国家公務員法改正案をまとめることができたのは驚きだったが、逆に言えば、それくらい、マスコミは心ある官僚にとっては、頼りになる存在だったのである。

 私個人がマスコミに救われる経験もした。

 2009年の民主党政権誕生直後、当時の仙谷由人行政刷新担当相から補佐官になってくれと言われたが、その発令直前に財務省の横やりでそれが覆された。その後、私には仕事が与えられず1年近くが経過し、この間、経産省の個室に「幽閉」状態となった。仕方がないので、民主党政権の公務員改革が大幅に後退している点を批評する記事などを経済誌に投稿すると、野党議員の要請で、現職官僚として参議院の予算委員会総括質疑に参考人として出席することになった。総理以下全大臣が居並ぶ中だ。現職官僚としては、大きなプレッシャーを感じる。政権の意向を忖度すれば、「現在は公務員改革担当ではなくなったので、職務外のことについてはお答えを差し控えさせていただきたい」というのが模範解答である。しかし、私は、「民主党政権の公務員改革は全くおかしい」と正面から政権批判の答弁をした。その時の私には、これで政権にやられるかもしれないという恐怖感もあったが、一方で、マスコミが私を守ってくれるはずだという自信があった。

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「I am not ABE」というメッセージを発した経緯は…