監督の森繁和がミスが相次いだ序盤を振り返って、顔をしかめたのも無理はない。松坂がマウンドに立つだけで、一種、独特なムードになる。それが、松坂という男の偉大さでもあるだろう。さらに、550日ぶりのマウンドという松坂が背負っていた“時の重さ”を、中日ナインの誰もが感じていたのかもしれない。

「でも、ランナーが出れば、ランナーをホームに還さないようにすることしか考えていない。それができなかったですからね」

 松坂は反省の言葉を並べた。とはいえ、四回以降は踏ん張って無失点。「先頭打者を出す機会が多くて、やっぱり僕みたいなタイプは球数が増えてしまう」

 5回で96球。2点ビハインドの五回裏、松坂の入る9番のところに先頭打者として打席が巡ってきた。それは投手が打順に入るセ・リーグでは「交代機」になる。

「もう1イニング、投げてもいいところだった。でも余分な1点を与えてしまったから」

 森は踏ん張りをたたえ、さらに松坂の心情を慮りながらもそこはチーム優先、非情の決断でもあった。

 それでも、勝ちにはつなげられなかった。

「負け=松坂」という試合の記録は刻まれた。松坂が試合に投げて、試合を作り、接戦を演出した。その事実を物語る「1敗」だ。森監督は「抹消するよ」と出場選手登録を6日には外すことを明言。それでも、阪神との対戦となる京セラドーム大阪へ、選手やスタッフの荷物を運ぶトラックに松坂のバッグも積み込まれた。

「5回投げて、次、中6日でいける状態に入っていかないといけない。6日目で投げられるのかどうか。そこから、次のことを考える」

 森監督の言葉を咀嚼してみると、こういうことだ。

 中6日を想定して、松坂を調整させる。登板翌日の回復具合と、2日目か3日目あたりでブルペンで投げてみてどれくらい体が回復しているのか。そうした状況をチェックした上で、松坂の今後の予定を組んでいくというわけだ。

 そのために、登板予定のない大阪へも、松坂を帯同させるのだ。登板日は未定だが、来るべき“次”をにらんでの調整スケジュールの一環だ。順調なら、18日か19日の阪神戦、天候などで試合開催が左右されないナゴヤドームでの登板の運びになりそうだ。

「次につなげたいですね」

 松坂はそう言い残して、愛車に乗り込んだ。日本での最後の白星は、西武時代の2006年9月19日にまでさかのぼる。ただ、新しい白星だけが目標ではない。

 俺は、まだ投げる。マウンドで投げ続ける──。

 投手としてのプライドをかけた、新天地・名古屋での挑戦は5回3失点、最速142キロだった。

 苦しい投球内容だ。いや、十分な内容だ。

 議論百出、評価は完全に二分されるだろう。ただ、1つだけはっきりしていることがある。

 松坂は、力強く、真の復活への第一歩を記した。

 そう、これからなのだ。(文・喜瀬雅則)

●プロフィール
喜瀬雅則
1967年、神戸生まれの神戸育ち。関西学院大卒。サンケイスポーツ~産経新聞で野球担当22年。その間、阪神、近鉄、オリックス、中日、ソフトバンク、アマ野球の担当を歴任。産経夕刊の連載「独立リーグの現状」で2011年度ミズノスポーツライター賞優秀賞受賞。2016年1月、独立L高知のユニークな球団戦略を描いた初著書「牛を飼う球団」(小学館)出版。産経新聞社退社後の2017年8月からフリーのスポーツライターとして野球取材をメーンに活動中。