巨人・マギー (c)朝日新聞社
巨人・マギー (c)朝日新聞社

 球春到来が待ち遠しい中、プロ野球各球団の戦力補強は年が明けても続いている。その中でチーム浮沈の大きな鍵を握るのが新外国人選手たち。彼らの活躍を期待する前に、90年代以降に日本球界でプレーした助っ人たちの中での「ナイスガイ」たちを紹介したい。

■マット・ウインタース(1990年~94年:日本ハム
「踊るホームラン王」の愛称でファンに親しまれ、愛された男。入団から4年連続で30本塁打をクリアした中、雨天中止の際にダイヤモンドを一周してのヘッドスライディングに始まり、ベンチ前でのマジック披露、5回終了時のコスプレダンスパフォーマンスなど、“過剰なほどの”ファンサービスで人気を集めた。引退後は球団の駐米スカウトとして働く。

■グレッグ・ラロッカ(2004年~10年:広島、ヤクルトオリックス
格安年俸での来日から期待以上の活躍を見せ、日本で計3球団、通算7年間プレー。オリックス時代の07年には「日本に恩返しがしたい」と球団を通じて日本二分脊椎・水頭症研究振興財団に100万円を寄付。内野の一角としてチームメイトと肩を組み、球場までの“電車通勤”の最中にもファンに快くサイン。死球王に3度輝くなど、逃げることなく相手投手に向かっていった。

■ボビー・ケッペル(2010年~13年:日本ハム)
在籍4年の間に数多くの聖人エピソードを残した人格者。ファン、メディア、チームメイト、球団スタッフと、関わる日本人に対して常に敬意を持って接し、“一人焼肉”を愛するなど日本の生活にも順応。東日本大震災の際には1週間も涙を流して悲しみ、日本を離れる外国人選手もいた中、復興支援試合に参加して「日本でプレーをする外国人選手の一人として、私にできることは全てやる覚悟をもっています」とスピーチ。現在は宣教師を務める。

次のページ
日本社会への貢献にも積極的な助っ人たち