72年に「テイク・イット・イージー」でデビューしたころ、イーグルスの音楽はカントリー・ロックと紹介されることが多かった。それは、ザ・バーズやバッファロー・スプリングフィールド、フライング・ブリトー・ブラザーズらの仕事を70年代に受け継ごうとした努力の結果でもあったわけだが、彼らはその後、次第に音楽性の幅を広げていき、美しいハーモニーを生かした「ベスト・オブ・マイ・ラヴ」とハードな方向性を強く打ち出した「ワン・オブ・ディーズ・ナイツ/呪われた夜」を全米チャートNO.1に送り込んでいる。初来日の段階ではすでに、アメリカン・ロックを代表するバンドとしての地位を固めてしまっていたのだ。

 武道館で観たその初来日のステージに、デビュー以来サウンドの要として働いてきたマルチ弦楽器奏者バーニー・レドンの姿がなかった。それなりに情報をつかんではいたが(インターネットなど想像外の時代で、海外の雑誌を買うことも容易ではなかった)、大好きなミュージシャンだっただけに、実際に自分の目で確認して、がっかりしてしまったものだ。代わりに参加したのは、すでにソロ・アーティストとしても活躍していたジョー・ウォルシュ。大きな話題にはなったものの、彼の特徴的なギターがイーグルスのサウンドに加わることを、当時の僕はあまり好意的に受け止めていなかったように記憶している。

 記録によれば、『ホテル・カリフォルニア』のレコーディングはその年の3月から10月にかけて、マイアミのクライテリア・スタジオとロサンゼルスのレコード・プラントで行なわれたという。プロデューサーは3作目『オン・ザ・ボーダー』の制作途中からイーグルスとの関係を急速に深め、4作目の『ワン・オブ・ディーズ・ナイツ』を大成功へと導いたビル・シムズィク。ウォルシュの一連の作品も彼が手がけたものだった。

 そのウォルシュと、「呪われた夜」のシャープなソロで一躍注目の存在となったドン・フェルダー。二人の優れたギタリストを前面に押し出した新編成を生かし、コンセプト固めと曲づくりはドン・ヘンリーとグレン・フライが主導するスタイルでレコーディングは進められていった。

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