「難治がん」の記者 「なぜ病気になった?」の問いに改めて考えたこと (2/2) 〈dot.〉|AERA dot. (アエラドット)

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「難治がん」の記者 「なぜ病気になった?」の問いに改めて考えたこと

連載「書かずに死ねるか――「難治がん」と闘う記者」

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野上祐(のがみ・ゆう)/1972年生まれ。96年に朝日新聞に入り、仙台支局、沼津支局、名古屋社会部を経て政治部に。福島総局で次長(デスク)として働いていた昨年1月、がんの疑いを指摘され、手術。現在は抗がん剤治療を受けるなど、闘病中

野上祐(のがみ・ゆう)/1972年生まれ。96年に朝日新聞に入り、仙台支局、沼津支局、名古屋社会部を経て政治部に。福島総局で次長(デスク)として働いていた昨年1月、がんの疑いを指摘され、手術。現在は抗がん剤治療を受けるなど、闘病中

当選を決めた候補者名に花をつける立憲民主党の枝野幸男代表=10月23日午前1時5分、東京都港区、北村玲奈撮影 (c)朝日新聞社

当選を決めた候補者名に花をつける立憲民主党の枝野幸男代表=10月23日午前1時5分、東京都港区、北村玲奈撮影 (c)朝日新聞社

 たとえば。

 翌日の勝負に向けて同僚たちとファミリーレストランで策を練ったあの夜。

 連載記事にアクセントとして登場するホッケの開きをみんなでつついたあの日。

 勝ち続けた彼らと泊まりがけで会津地方の温泉旅館に出かけた打ち上げ。

 そして、仙台での打ち合わせがうまくいった後、深く信頼していた仲間とちょっと寄っていくかと誘いあい、日本酒で祝杯をあげた夜。

――だめだ。もう書けない。

 ああした晴れがましさや弾けるような喜び、緊張感の思い出がすべて消えて、代わりにがんのない自分が残るのだとしたら(というのはかなり極端な仮定だけれど)それがいかほどのものだろうか。まあ、それはそれで悪くない、という考え方もあるだろうが……。

 チェコの作家ミラン・クンデラの『存在の耐えられない軽さ』は好きな小説の一つだ。冷戦下のチェコスロバキアで起きた「プラハの夜」を背景に、複数の男女の恋愛模様が描かれている。人はいく通りもの人生を生き比べることはできないと、読むたびに思う。あのときこうしていたらという「たられば」を空疎に感じる気持ちは、がんになってより強まった。

 このところコラムで取り上げてきた衆院選が先週、終わった。

 投開票から2日後の24日。寝床でスマートフォンをいじりながら朝刊を読んでいると、「共闘実現していたら」という記事があった。

 立憲民主、希望、共産、社民、野党系無所属の候補の得票を「単純に合計する試算を行なった」ところ、与党候補が勝利した選挙区のうち「63選挙区逆転」の結果が得られたという。

 確かに、野党共闘が進んでいれば議席数は実際より多かっただろう。だが仮にそうだったとしたら、今回ほど各陣営が競って得票数を伸ばすこともなく、63議席には届かなかったのではないか。

 今後に向けた頭の体操としてはわかる。けれども、それを元にして、ああしておけば……といった話が聞こえてくると、それはちょっと違うのではという気がしてくるのだ。

 光あるところに影がある。ものごとにはマイナス面があれば、たいていプラス面もあるものだ。過去を参考にするのはいいが、その片方だけ見て「たられば」を語っても仕方ない。

 いつも大切なのは、将来に向かって足元からのびていく「いま、ここから」だ。それは政治もそうだし、たぶん人生もそうなのだろう。


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野上祐

野上祐(のがみ・ゆう)/1972年生まれ。96年に朝日新聞に入り、仙台支局、沼津支局、名古屋社会部を経て政治部に。福島総局で次長(デスク)として働いていた2016年1月、がんの疑いを指摘され、翌月手術。現在は闘病中

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