「難治がん」の記者 明日の天気は変えられないけれど (1/2) 〈dot.〉|AERA dot. (アエラドット)

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「難治がん」の記者 明日の天気は変えられないけれど

連載「書かずに死ねるか――「難治がん」と闘う記者」

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野上祐(のがみ・ゆう)/1972年生まれ。96年に朝日新聞に入り、仙台支局、沼津支局、名古屋社会部を経て政治部に。福島総局で次長(デスク)として働いていた昨年1月、がんの疑いを指摘され、手術。現在は抗がん剤治療を受けるなど、闘病中

野上祐(のがみ・ゆう)/1972年生まれ。96年に朝日新聞に入り、仙台支局、沼津支局、名古屋社会部を経て政治部に。福島総局で次長(デスク)として働いていた昨年1月、がんの疑いを指摘され、手術。現在は抗がん剤治療を受けるなど、闘病中

その一票は変わりうる将来へとつながっている(※イメージ写真)

その一票は変わりうる将来へとつながっている(※イメージ写真)

 働き盛りの40代男性。朝日新聞記者として奔走してきた野上祐さんはある日、がんの疑いを指摘され、手術。厳しい結果であることを医師から告げられた。抗がん剤治療を受けるなど闘病を続ける中、がん患者になって新たに見えるようになった世界や日々の思いを綴る。

*  *  *
 初任地、仙台の印象をひとことでいえば「グレー」になる。何をしてもうまくいかなかった当時の気分を色にたとえたのではない。いつもうつむいて歩いていた視線の先にあるアスファルトがグレーだった。

 記憶はやや不鮮明だが、若いころに車のラジオから流れてきた人生相談は、こんなナレーションで始まった。

「変えられることは変えましょう。変えられないことは受け入れる努力をしましょう」

 変えられることはあるが、できないことまで変えようとしなくていい。肩の力がふっと抜けた。

 その言葉が20年近くしてよみがえり、がんと宣告された自分を貫く指針になろうとは当時、知るよしもなかった。

「変えられないこと」から考えると、すい臓がんは長い共存は期待できないし、切除できなければ完全に治ることはない。私の病状では多くのがん患者のように「生きるか死ぬか」で悩んだり、再発をおそれたりするまでに至らない。それでは、どんな治療をして、(誰にとっても)限られた時間をどう使うのか。自然と意識は「変えられること」に集中していった。

●「背を向けられる」心配はあるけれど

 変えられること、変えられないこと。その境目を見つめてみると、政治がより他人事でなくなった。病気ならば治療するように、人々の暮らしをより良く変えていこうとするのが政治だからだ。がんと政治が自分のなかでひとつに重なった。

 コラムで政治を取り上げるのは、「生き死に」をひたすら見つめるというがん患者のイメージとは異なる。読んでくれる人に背を向けられるのでは、と心配した。

 それでも、体調の悪化を実感するにつれ、内省的なことばかり書いてはいられない気持ちになった。そのうちに衆院選の実施が決まる。後事を誰に託すのか。遠ざかる読者の背中を意識しつつ、福島、若者、政治家をテーマに書いた。

 働きながらがんと闘っている人は少なくない。そこに独り、生きる意味を見出す仲間たちの姿を想像した。


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